2026.05.03 08:00備蓄石油と常平倉物価安定が第一 アメリカとイランの戦争でホルムズ海峡が封鎖されているため、石油の供給がとどこおって、世界経済に大きな影響を与えています。日本は備蓄原油の活用や中東以外からの輸入拡大によって、ガソリンをはじめとするエネルギー価格の極端な上昇は押さえられていますが、ドイツでは一時ガソ...
2026.04.26 08:00井伊直弼と条約勅許開国か鎖国か 前回、言い出したら聞かない強情者だったと紹介した井伊直弼ですが、地元彦根では「日本を開国に導いた偉人」として高く評価されています。「欧米列強の圧力が迫る中、冷静に現状を分析し、自分の命をかけた決断によって開国に踏みきった偉人」と書かれたホームページもありました。ここ...
2026.04.19 08:00井伊直弼はただの強情者だった言いだしたら聞かない 前回の一橋慶喜に関連する話になりますが、慶喜を家定将軍の世子にしようとする「一橋派」の運動を阻止した中心人物が彦根藩主の井伊直弼でした。井伊は安政の大獄を行なうなど強権をふるって幕府の権威を強化しようとしたものの、「桜田門外の変」で尊攘派の志士たちによって暗...
2026.04.12 08:00慶喜は嫌われ者だった文久の改革 幕末の改革で重要なもののひとつに、文久2年(1862)に行なわれた「文久の改革」があります。この年、島津久光が率兵上京をして「一橋慶喜を将軍後見職に、松平春嶽を大老にせよ」という勅命をとりつけ、勅使大原重徳がしぶる幕府とハードネゴを行なって、勅命を呑ませま...
2026.04.05 08:00阿部正弘も斉彬を頼った政治の中心は阿部老中 激動の時代と称される「幕末」は、ふつう嘉永6年(1853)の黒船来航から、明治元年(1868)までの期間をさします。わずか16年という短い年数ですが、それまで200年以上続いた天下泰平の時代とは様変わりしました。それを端的に示しているのが、幕府の政治をつかさ...
2026.03.29 08:00斉彬はなぜ名君になれたのか?益友 タイトルがいきなり『ブラタモリ』のお題みたいになってしまいました。じつは、ここのところ、来月に照國神社で行なう講演「斉彬公交遊録~大名編~」のパワーポイント資料とレジュメの作成に取り組んでいます。その中でふと気になることがありました、それが「なぜ名君になれたのか?」です。島...
2026.03.22 08:00人使いはガマンから薩摩では「学者」は蔑称だった 今回は久しぶりに島津斉彬を取り上げます。斉彬が藩主になったときの薩摩は、まだ戦国時代の気風を引きずっていて、学問よりも武勇をたっとぶ風潮がありました。斉彬に侍医として仕え、明治政府で外務卿(外務大臣)をつとめた寺島宗則(旧名 松木弘安)が、明治18年...
2026.03.15 08:00江戸時代の「暗記カード」下座見カルタ 前回は大名行列の先頭を歩きながら向こうからやってくる行列の槍鞘を見て、だれの行列かをすばやく判断する「下座見」という役割を紹介しました。ここでひとつ疑問がわきます。それは、「下座見はどのようにして各大名の槍鞘をおぼえたのか?」です。武鑑の各ページを繰りながらおぼえて...
2026.03.08 08:00大名行列を見分ける専門職がいた下座見 前回の話で旧広島藩主の浅野長勲(ながこと)が、江戸市中では大名行列どうしが出会うことが始終あり、そのばあい「向うから行列を見ると、上杉弾正大弼様というふうに、先におる者が知らせる」と語っていたことを紹介しました。この「先におる者」というのが「下座見(げざみ)」です。一般的...
2026.03.01 08:00大名行列の挨拶大名行列が出会ったとき 江戸時代は、さまざまなしきたりにしばられた社会でした。なかでもうるさかったのが、「礼儀作法」です。武士階級においてはこれによって身分の違いを分からせたので、さまざまな場面での「礼儀作法」つまり「どのようにふるまうか」が細かく定められていました。...
2026.02.22 08:00下馬評従者はつらいよ 前回もふれましたが、大名や諸役人が江戸城に登城するときは、大手門の橋の手前にある下馬所のところで従者の数をへらして、玄関に向かいました。下馬所には「下馬」と書かれた高札が立っており、従者たちの多くはその近くに待機して殿様の下城を待つことになります。老中や若年寄など...
2026.02.15 08:00大名にもコーチがいた教えるのは誰? 先週の衆院選では高市自民党が歴史的大勝利をおさめました。今回初当選した議員が60人以上いるそうですが、今後「高市チルドレン」と呼ばれるのでしょう。そこで少し気になるのが、この新人たちの指導をどうするのかということです。以前であれば、ほとんどの新人議員は党内のいずれ...