正月登城は寒さとの戦い

大名の登城日

 参勤交代で江戸にいるときの大名は、江戸城に登城する日が定められていました。

まず月次御礼(つきなみおんれい:定例のあいさつ)として、毎月1日、15日、28日の登城があります。

さらに、年始(正月1~3日:大名のランクによって日が異なる)、五節句、嘉祥(かじょう:6月16日)、八朔(はっさく:8月1日)、玄猪(げんちょ:10月の最初の亥の日)も登城日と定められています。


五節句とは

人日(じんじつ)の節句 :1月7日 (七草の節句)

上巳(じょうし)の節句  :3月3日 (桃の節句)

端午(たんご)の節句  :5月5日 (菖蒲の節句)

七夕(しちせき)の節句 :7月7日 (笹の節句)

重陽(ちょうよう)の節句:9月9日 (菊の節句)

です。


もともとは中国由来のものですが、江戸幕府によって公的な祝日と定められました。

また、嘉祥では厄除けとして将軍家から菓子が下され、収穫祝いの玄猪では餅が下されました。

逆に八朔は徳川家康が江戸入りした記念日として、諸大名から将軍家に太刀馬代が献上されます。


月次以外の登城日は、1月に2回と3月・5月・6月・7月・8月・9月・10月に各1回の計9日です。

山本博文東京大学史料編纂所教授(故人)によれば、「登城が頻繁になるのを避けるため、1・2・3・8月の1日、6・7月の15日、3・5・6・8・9・10・11月の28日は月次御礼がなかった」そうですから、月次のうち13日は登城が免除されていたようです。

とすれば、3日×12(ヶ月)+9日-13日=32日で、月平均2.7日が登城日という計算になります。


登城時の供侍はすね丸出し

月に2~3回でよいといっても、大名ともなれば、きちんとした行列をととのえて登城せねばなりません。

その登城時の服装が今回のテーマです。

注目したいのは、「年始」の登城です。


旧暦(太陰暦)の正月は太陽暦では一定せず、年によって変わりますが、2026年の場合だと元日は2月17日になります。

つまり一番寒い時期です。


下の図は正月に武士たちが年始回りをしているようすですが、皆袴をまくり上げてすねを出しています。

同じところにいる町人たちはブルーの股引らしきものをはいていますが、武士たちの足はむき出しのままです。

どちらが寒いかは一目瞭然ですね。


『徳川盛世録』より「諸家年始回勤の図」(部分・岡崎市立中央図書館蔵)


寒さとの戦い

大名行列の供侍は、「股立(ももだち)」といって袴のすそをたくし上げるのが正装でした。

また、大名も城中では長袴で足をすっぽりおおっていますが、乗物(引き戸のついた駕籠)の中では袴をたくし上げて、すねをむき出したままですわっていました。


そのようすを江戸文化の大家である三田村鳶魚(みたむら えんぎょ)がこう語っています。

式日登城の都度、長袴御着用の節は、お屋敷を出られる時から、膝の上まで出るほどに高く括り上げておられるのですから、乗物の中に端座されても、股の辺まで出してスワッテおいでなさる。
冬向きなどは、お寒いであろうとお察し申します。
殊に、乗物の中にはお火のないのが本式だそうでございます。
いよいよ御苦労であったと存じます。
ましてお徒歩になりましては、徒(かち)や小十人のいたす返し股立(ももだち)、これは民間のジンジンバショリと同じことになりますが、民間の者は、股引とかパッチとかいうものをはきまして、空脛素股(からずねすまた)ではないのですが、返し股立や括り股立になりますと、空脛素股なのですから、お供方などは、寒天には肉色が変わると聞いております。
殿様の御歩行は、お供方とは距離も違い、第一、時間が少ないとは申しながら、お大抵のことではあるまいと存じます。
大名様がお楽なものでないのは、これだけでも知れます。
【「浅野老公のお話」三田村鳶魚 朝倉治彦編『武士の生活』中公文庫 鳶魚江戸文庫11】

裃を着用しながら、はだしで、すねやももをむき出しにしているのは、現代人の目には見苦しいように思えますが、江戸時代にはこれが正しいスタイルだったのです。

揚州周延『千代田之御表 正月元日諸侯登城桔梗下馬』
(部分・国立国会図書館デジタルコレクション)


江戸時代は今より寒かった

さらにつけ加えておくと、近年は地球温暖化によって平均気温が上昇していますが、江戸時代は今よりもっと気温が低かった、つまり寒かったようです。

たとえば考古学者・地理学者の西岡秀雄慶応大学教授(故人)はこのように書いています。

江戸時代の末期には、千葉県付近には年中、和歌山県付近には冬期に、アシカの類が南下していたのが常態であったほど海水温は低下し、寒流が著しく南下していたことがうかがわれ、
これに伴って陸上の気温もかなり低下して、年輪に明らかなように樹木の成長をも低調にしていたのである。
【西岡秀雄『気候700年周期説 寒暖の歴史』1972年 好学社】


西岡先生によれば、樹木の年輪や貝塚の残存物など日本の過去3~4000年間の遺物や古記録を調べると700年周期で寒暖をくり返しており、現在は「江戸時代末期の谷底から、西暦22~3世紀に到来予定の第5回目の最暖期へ向う上昇途上にある」そうです。

温暖化の原因はさておき、西岡説にしたがうと江戸時代末期は歴史的に一番寒い時代であり、正月登城はその中でも特に寒い時期にあたります。


三田村鳶魚が「寒天には肉色が変わる」と語っているように、厳寒期にすねやももをむき出しにして外を歩き、寒風の吹く城外で殿様が出てくるのを待ち続けるのは、さぞつらかったろうと、昔の武士に同情する次第です。

幕末島津研究室

幕末島津家の研究をしています。 史料に加え、歴史学者があまり興味を示さない「史談(オーラルヒストリー)」を紐解きながら・・・ 歴史上の事件からひとびとの暮らしまで、さまざまな話題をとりあげていきます。

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