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2026.07.26 08:00

幕府医師のピンとキリ

世襲できない奥医師 江戸時代は身分制社会でしたから、父親の職業とその地位を長男が代々継承していくというのが基本ルールでした。幕府内における地位も同様です。前回まで取り上げてきた川路聖謨のように、下級武士から旗本の最高ポストに到達するようなケースは、ごくわずかな例外にすぎません。し...

2026.07.19 08:00

川路聖謨の末路

井伊大老が川路を左遷 これまで、4回にわたって川路聖謨を取り上げてきました。というのも、下級武士の出でありながら異例の出世をした川路は、行く先々の部署で卓越した業績を残した、まさに幕臣のスーパースターだと思っているからです。島津斉彬が「時事談の友」としたというのも、よく分かります...

2026.07.12 07:00

川路聖謨と北方領土

ペリーの1ヶ月半後に来たのは? 島津斉彬の「時事談の友」だった川路聖謨ですが、彼を語る上でどうしてもはずせないのがロシアとの交渉です。日本の開国といえば、まず連想するのが「黒船来航」。嘉永6年(1853)にアメリカ東インド艦隊司令長官のペリーが軍艦4隻で浦賀に現われて、開国と通商...

2026.07.05 08:00

川路聖謨と鹿政談

鹿政談とは 上方落語の演目のひとつに『鹿政談』というのがあります。噺(はなし)の始まりはこうです。江戸時代の奈良では、鹿は「春日大社の神様の使い」とされており、鹿を殺したものは死罪というきまりがありました。ある日の早朝のこと、正直者の豆腐屋が豆腐を作っているときに、店先においてい...

2026.06.28 08:00

新人佐渡奉行川路聖謨の感化力

40歳で奉行に 島津斉彬の「時事談の友」と称された川路聖謨について、前回は父親のきびしい教育ぶりをご紹介しましたが、有名な人物なので幕吏になってからのエピソードもたくさん伝わっています。今回はその中から、佐渡奉行時代の勤務ぶりをご紹介します。以前、『幕府役人のキャリアパス』の話に...

2026.06.21 08:00

教育で出世”させる”

長男・次男を養子に出す 以前に「幕府役人のキャリアパス」の回で取り上げた幕末の名勘定奉行川路聖謨ですが、彼は豊後日田の代官所手代内藤吉兵衛の長男として日田で生まれました。幼名は弥吉といいます。父吉兵衛は甲州の浪人で、諸国を放浪中に日田の代官所手代と知り合い、その娘を嫁にして自分も...

2026.06.14 08:00

老中のキャリアパス

徳川幕府の大臣職 旗本のキャリアパスについて説明したので、ついでに老中のキャリアパスにも触れておきます。ご存じのように老中というのは現在の日本政府でいえば閣僚にあたるポストです。老中を閣僚とすると、その上には総理大臣にあたる「大老」職がありますが、こちらは臨時に設けられるポストで...

2026.06.07 08:00

優秀な人材は下級武士から

有為の才は俗吏に多し 前回の冒頭に、幕末に軍艦奉行や勘定奉行などをつとめた木村喜毅の言葉を紹介しました。彼は、幕府の官吏登用にはキャリア官僚となる「武人」とノンキャリア官僚である「小吏」の2種があると説明しています。木村の出自は代々浜御殿(現在は東京都中央区にある浜離宮恩賜庭園)...

2026.05.31 08:00

幕府役人のキャリアパス

番士と小吏 現代日本の諸制度は江戸時代とつながっていると感じることが多いのですが、役人のキャリアパス(役職につくために必要なスキルや経験すべき部署)に関して、江戸幕府要人の興味深い発言を見つけました。幕末に軍艦奉行として勝海舟を従えて咸臨丸でアメリカに渡った木村喜毅(よしたけ)が...

2026.05.24 08:00

日本の科挙となった学問吟味

超難関試験  前回は旗本の筒井政憲が昌平坂学問所の学問吟味で甲科及第したのをきっかけに、昇進をかさねてとうとう旗本のトップの役職である江戸町奉行になったという話をしました。学問吟味の内容について、国立公文書館のホームページには次のように書かれています。学問吟味は初場(予...

2026.05.17 08:00

斉彬の学問の師は名奉行

名奉行三人のひとり 前回、島津斉彬は幕臣との交流も多かったのですが、なかでも「学問の師」と呼ばれて尊敬されていたのが筒井政憲(つつい まさのり)です。筒井政憲は安永7年(1778)に、5100石の大身旗本久世広景の次男として生まれ、21歳の時に旗本(2200石)筒井正盈(まさみつ...

2026.05.10 08:00

斉彬vs.直弼 ブレーンで大差

井伊大老のブレーンは二人だけ 以前「井伊直弼はただの強情者だった」の話で、井伊大老が安政の大獄を行なったのはブレーンがいなかったから判断を間違えたのだという説明をしました。正確にはブレーンが「いなかった」のではなく、「ごく少数の人物しかいなかった」ということです。維新の興奮もおさ...

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