正しい歴史を知れば行いは正しくなる
歴史を学ぶ価値
学校で教えている「歴史」は「暗記科目」といわれ、人名や事件の年をおぼえさせることに集中して、「歴史はつまらないもの」というイメージを刷り込んでいます。
そもそも歴史は「だれが、いつ、どんなことをしたか」を覚えるのではなく、「なんのために、どういうことをして、その結果はどうなった」を学んで、将来にいかすためのものではないでしょうか。
旧館林藩出身の歴史学者で、16年もの歳月をかけて大著『名将言行録』を書き上げた岡谷繁実(おかのや しげざね)は明治28年の史談会で、大原重朝(しげとも:島津久光の卒兵上京で勅使となった大原重徳の息子)から聞いたという話を披露しています。(読みやすくするため現代仮名づかいに変えて、一部漢字を平仮名にし、句読点とカギ括弧をおぎなっています)
岩倉(具視)という人は学問の無い人であるけれども、博学の人より用を為した。
彼の人(岩倉)が常に言うには、
「人は歴史の読み様を知らぬ。
唯々漫然と読むから、いくら読んでも役に立たぬ。
歴史は第一その人の顛末をはじめから仕舞(しまい:最後)まで較べて見るが大事である。
はじめにこういう事があれば、終りにこういう事があるというは分かった事で、それを見ねばいくら歴史を読んでも、漠然として括りのないものになる」
と言われた事がありました。
【岡谷繁実「岡谷君大原公より下賜の御盃譲与せられし事実附十話」『史談会速記録 第57輯』】
明治維新の立役者のひとりである岩倉具視は、大原に言わせれば、「たいした学識もなかったのに政治の世界では博識の公家たちよりもはるかに有能」でした。
その理由として岩倉が常に言っていたのは、「歴史の読み方を知っていた」からです。
歴史書を漫然と読むのではなく、特定の人物や出来事についてはじめから終りまで読み込み、なぜそうなったのかを考察する。
それをつみ重ねることによって政治的な視野ができ、的確な手がうてるようになるというのです。
岩倉具視(『幕末・明治・大正回顧八十年史』より)
功績ある者の子孫は行動を慎む
個人の場合であれば、自分の先祖を知ることが重要になります。
明治29年の史談会において会員で検事の水本兼孝がこのような意見を述べています。(読みやすくするため、一部漢字を平仮名に変えています)
それ維新の変革は我国空前絶後の大事業とす。
すべからく事実の正確を期し、亀鑑を子孫に伝えて、他日国家有為の人材を作製せざるべからず。
聞く歴史正を得ば国家の人心勃興すと。
私は誠にその然るを信ず、もし祖先にして顕著なる功績あれば、その子孫は必ず之を鑑みて深く自ら品行を慎むものなり。
私は検事の職にあるものにつき、常に罪人を取扱う間においてこの辺の事情を試むるに、名家の子孫たるものは殆ど稀にして、多くは父兄もなく、もしくは一家の由来を知らざるの輩なり。
ゆえに国人としてもわが国家の歴史を知れば、必ずや他日に汚点を遺さざることを期するに至らん。
【水本兼孝「史談会京都支部初会の記事附九節」『史談会速記録 第48輯』】
水本は、検事として多くの犯罪者と接するうちに、あることに気づきました。
それは名家、つまり古くから続く有名な家柄の子孫はほとんどいないということです。
犯罪をおかして捕まる者の多くは、親兄弟がなく、もしくは自分の家柄も知らない連中でした。
家の歴史を知っていればそれに泥を塗るような行為はできない、そういった自制心がはたらきます。
反対に自分の出自がわからないなら先祖の名誉や一族の歴史など考えることはなく、なにごとにも自分の欲望が優先してブレーキがきかず、最後は犯罪者となってしまう。
水本によれば、これは国家と国民の関係においても同様だそうです。
つまり、「正しい国の歴史を知れば、国民の行動も正しくなる」ということです。
明治維新は武士道精神の発露
水本は日本の重要な歴史として、明治維新をあげています。
明治維新では武士という特権階級がなくなり四民平等の世の中となって、西欧列強に対抗するための挙国一致体制が実現しました。
まさに革命ですが、フランス革命のような貴族対市民という階級間の戦いではなく、「武士が自分たちの特権をなくすために戦った」のが明治維新の特徴です。
では、なぜそのようなことが起きたのか?
尾藤正英東京大学名誉教授(故人)は、明治維新は武士道精神の発露だと見ています。
西欧列強の外圧にさらされて日本が植民地化の危機を迎えたときに、国家のために自分たちの特権を放棄するという武士道精神が発揮されたことで、明治維新という大革命が起きたというのです。
明治維新の社会変革としての独特な性格は、右の武士的な精神(「国事」のためには自己放棄を当然とみる公共的精神)ならびにそれを生みだした武士社会の構造と切り離しては、理解することのできないものであろうと考えられるのである。
【尾藤正英「明治維新と武士」『江戸時代とはなにか―日本史上の近世と近代―』岩波書店】
武士は「国事=国家のため」が最優先事項であるということについて、旧福井藩士の由利公正も明治37年の史談会でこのような話をしています。(読みやすくするため現代仮名づかいに変えて、一部漢字を平仮名にし、句読点とカギ括弧をおぎなっています)
士族の事でありますから、何処でもそういうものであるが、父母が誡(いまし)むるには
「士(さむらい)というものは国のために死し、国家のために力を尽すというものが士の職分であるから、何か一代にお国のためになるということを一事せねばならぬ」
ということを予(かね)て誡められまして、毎日のように
「何になろうと思うか、何を以て国家のためにするか」
ということを責められるようなことで、幼年の時から苦しく思うて、親の所に行くを疎んだ位の有様でありました。
【由利公正「子爵由利公正君の旧藩政時代の実歴」『史談会速記録 第142輯』】
由利が語っているように、武士は幼いころから「公が私に優先する」という教育をうけてきました。
そういう歴史を知ることで日本人の国民性がつくられ、その精神が受け継がれてきたから、日本人は大災害の時でも暴動や略奪をおこすことなく、整然と助け合ってきたのです。
しかし、日本のような歴史を持たない国で生まれ育った人々の価値観は異なっています。
多くの人がそれを感じているから、外国人問題が参院選の争点になっているのでしょう。
話は変わりますが、石破首相が外国人受け入れに関して気になる発言をしました。
日本の言葉や習慣は七面倒くさい?
産経新聞によれば、石破首相は7月2日に行なわれた日本記者クラブ主催の与野党8党首による討論会で「七面倒くさい日本語、日本の習慣を日本政府の負担によってでも習得してもらい、適法な人に入ってもらう」と発言したそうです。
これに対して、X(旧ツイッター)上では反発する声がひろがり、「衝撃の発言だわ。日本の文化だぞ。」というポストは2日間で1624万回閲覧され、9.3万の「いいね」がついています。
ユーチューブでも京都大学の藤井聡教授が「怒りの解説」を行なっていますが、まったく同感です。
首相の発言になぜこれほど非難が殺到したのか。
それは、一国の最高責任者が自国の歴史や文化を尊重していないと公言したからです。
石破首相が七面倒くさいと言った日本語は、ひらがなで書かれる和語(やまとことば)、漢字で書かれる漢語(古い中国語)、カタカナで書かれる西洋語、を併用する、世界に類を見ない言語です。
日本の文化も同様に独特のもので、1867年のパリ万博に日本が初めて参加したときはヨーロッパに「ジャポニズム」ブームをまきおこしました。
それを七面倒くさい(=意味のない)ものと切り捨てたので、国民が激怒したのです。
では、石破首相はなぜこのような発言をしたのか。
私は彼が日本の歴史を理解できていないからだと思います。
7月20日はかならず投票に行きましょう。(都合が悪い方は期日前投票を!)
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