2025.04.21 08:00失政をごまかそうとする人々参議院選挙が近いのに支持率が低下し続けている与党から「現金給付を」「いや商品券配布で」「クーポン付与がいい」などの声があがっていましたが、「バラマキ批判を受けるだけで逆効果だ」とのことで結局やめたようです。自公政治に対する国民の不満がどんどん高まっており、このままでは7月の参院選...
2024.09.16 08:00暴れ隠居の横綱わがまま隠居 幕末の逸話集『想古録』では、栄翁(島津重豪)と一心斉(池田治政)が「天下に隠れなき放蕩無頼の両大関」と語られていましたが、彼らをしのぐ傍若無人の横綱といってもよい隠居がもう一人います。家斉将軍の父一橋治済(はるさだ)で、寛政3年(1791)に隠居し、穆翁(ぼくおう)...
2024.09.09 08:00暴れ隠居の友情が名君を生んだ?島津家と池田家 私見ですが、江戸時代の全大名の中で最高の名君は島津斉彬だと思います。彼は島津家27代当主斉興の長男として生まれました。母は斉興の正室弥姫(いよひめ)で、鳥取藩主池田治道の四女です。池田家は岡山藩が本家で、鳥取藩は分家になります。斉興と弥姫が結ばれたから名君斉彬が誕...
2024.09.02 08:00将軍の岳父は飛ぶ鳥を落とす大奥の威勢が岳父におよぶ しばらく御所の話を続けましたが、ふたたび斉彬の曾祖父・島津重豪に戻します。「重豪、将軍の岳父に」で説明したように、重豪の娘茂姫は一橋家に嫁ぐはずでしたが、婚約者家斉が11代将軍になったことから将軍家の御台所として迎えられました。 大名は将軍の部下なので、...
2024.07.22 08:00重豪、将軍の岳父に竹姫の縁で一橋家の姫と結婚 前々回、重豪に江戸社交界の教育をほどこしたのが将軍吉宗の養女竹姫だったという話をしました。一部繰り返しになりますが、竹姫は京都の公家清閑寺煕定(せいかんじ ひろさだ)の娘で、宝永2年(1705)に生まれています。5代将軍綱吉の側室大典侍(おおすけ)は竹...
2024.07.15 08:00連帯責任で刃傷沙汰を止めさせる薩摩人はすぐケンカして死人が出る 薩摩藩の8代藩主重豪は、粗野な国風を変えようとしてさまざまなことを行なっています。前回は身だしなみや振る舞いを都会風にしようとして失敗した話でしたが、成功したと思われるケースもあります。それは「すぐに刃傷沙汰」という気風を変えたことです。藩内に風...
2024.07.08 08:00薩摩武士をシティボーイに変える?バンカラだった薩摩の習俗 努力して都会人に変わった重豪ですが、そうなると目につくのが国元の田舎くささです。そこで薩摩の習俗を改めさせようと考えました。市来四郎が史談会でこのように話しています。(読みやすくするため現代仮名づかいにし、漢字の一部を平仮名にかえて、句読点をおぎなってい...
2024.07.01 08:00重豪、江戸で馬鹿にされて発憤薩摩訛りでイモ呼ばわり 宝暦4年(1754)7月、10歳の島津重豪は藩主である父重年に同行して江戸に着き、島津家の世子として幕府に届け出ています。翌宝暦5年、病弱だった重年が亡くなったため、重豪は11歳で薩摩藩の8代藩主(島津家25代当主)になります。祖父継豊(つぐとよ:5代藩主...
2024.06.24 08:00正妻の子供は珍しかった大名のもっとも重要な仕事は子作り? 前回の後半で、老中水野忠邦が大奥年寄姉小路にやり込められたエピソードを紹介しました。その中で姉小路が「御内室や御部屋」と語っていますが、これは「正室と側室」つまり「正妻と妾」ということです。江戸時代においては、ほとんどのポストが「家業」でした。...