2026.06.07 08:00優秀な人材は下級武士から有為の才は俗吏に多し 前回の冒頭に、幕末に軍艦奉行や勘定奉行などをつとめた木村喜毅の言葉を紹介しました。彼は、幕府の官吏登用にはキャリア官僚となる「武人」とノンキャリア官僚である「小吏」の2種があると説明しています。木村の出自は代々浜御殿(現在は東京都中央区にある浜離宮恩賜庭園)...
2025.11.02 09:00上野の西郷銅像はなぜあの姿なのか顔はそっくり 西郷隆盛は写真ぎらいだったことで有名です。そのため西郷の写真は存在せず、姿形は絵と彫刻でしか残っていません。西郷の顔については、明治4年(1871)に渡米してハーバード大学に学び、日露戦争時はアメリカに派遣されて外交工作にあたった金子堅太郎が、西郷の顔は上野の銅像そ...
2025.04.21 08:00失政をごまかそうとする人々参議院選挙が近いのに支持率が低下し続けている与党から「現金給付を」「いや商品券配布で」「クーポン付与がいい」などの声があがっていましたが、「バラマキ批判を受けるだけで逆効果だ」とのことで結局やめたようです。自公政治に対する国民の不満がどんどん高まっており、このままでは7月の参院選...
2024.12.02 08:00幕府歩兵はがんばった歩兵隊の評価は高い 鳥羽伏見の戦いは射程距離500mのライフル銃(ミニエー銃、エンフィールド銃)と同100mの旧式銃(火縄銃、ゲベール銃)との戦いでもありました。3m以内の接近戦でしか使えない刀・槍は問題外です。薩長兵は全員がライフル銃を装備していましたが、旧幕府軍の武器はバラバ...
2024.11.18 08:00旗本は二束三文?慶喜の過信 鳥羽伏見の敗戦で江戸城に逃げ帰って、「あの旗本の家来を使って、薩長の武士に向って戦さが出来るか」と語った慶喜ですが、開戦前はそう思っていなかったようです。 幕府の中枢にいた福井藩主松平春嶽(慶永)が明治になってから著した回想録『逸事史補』には、このような記述がありま...
2024.11.11 08:00薩摩兵1名=旗本10名気位だけで戦意なし 前回、鳥羽伏見の戦いにやぶれて江戸に帰った徳川慶喜が、「あの旗本の家来を使って、薩長の武士に向って戦さが出来るか」と語った話をしました。じっさいのところはどうだったのか?そのころの旗本の様子について、さまざまな証言が残っています。まずは、京都に向って出発する...
2024.01.08 08:00攘夷は討幕のための口実だった有馬藤太聞き書き前回の「攘夷は何のため?」では、旧鳥取藩主池田茂政と寺師宗徳のやりとりの中で寺師が「(攘夷は)幕府をいじめるためにされたという疑いがある」と語っています。じつはストレートに「攘夷は幕府を滅亡させるための手段だ」と言い切った人がいました。それが明治維新の立役者、西郷...
2023.11.27 08:00禁門の変での捕虜、扱いは薩摩と会津で大違い禁門の変前回「長州征伐に絡む久光の極秘指示」で、禁門の変をおこした長州を征討することについて、内戦を回避するように、島津久光が西郷隆盛らに指示していたという話をしました。禁門の変というのは、元治元年(1864)7月19日に京都御所周辺でおきた長州軍と幕府側諸藩との戦闘です。これは...
2023.11.20 08:00『久光親話記』長州征伐に絡む久光の極秘指示島津家のオーラルヒストリー『久光親話記』というのは久光と長男忠義(島津宗家29代)および四男忠済(玉里島津家2代)との会話を筆記したものです。その前書きには、久光没後の明治22年に宮内庁から、忠義と忠済に「故久光の国事上の親話を記して提出せよ」との命が下ったから作成したと書かれて...
2023.09.14 08:00佐久間象山と西郷隆盛幕末の先覚者佐久間象山佐久間象山(さくま しょうざん、地元では「ぞうざん」と呼ぶのが一般的らしい)は信州松代藩士で、幕末を代表する思想家です。彼は儒学(朱子学)に加えて洋学(蘭学)を学び、西洋兵学とくに砲術の大家として有名で、その進んだ思想から「幕末の先覚者」と呼ばれています。注...
2023.08.18 09:00鳥羽伏見の戦いと大坂城鳥羽伏見の戦いの終点は大阪鳥羽伏見の戦いで連戦連敗の旧幕府軍が、最後の拠点としたのが大坂城(当時の表記、現在は大「阪」城)です。大坂城は徳川幕府が西国支配の拠点とした名城ですが、歴代将軍で大坂城に足を踏み入れたのは3代家光までで、14代家茂が文久3年(1863)に上洛したときに訪...
2023.07.20 07:00鳥羽伏見の古戦場巡り(番外編 薩摩藩戦死者碑)以前に旧幕府軍の戦死者慰霊碑を紹介しましたが、戦死者はとうぜん新政府軍側にもいます。今回は薩摩藩の戦死者石碑を見ていきましょう。