2026.08.16 08:00医学館vs.医学所幕末の医学は、漢方医学と蘭方医学という二つの系列に分かれていました。その漢方医学の本拠となったのが医学館で、これに対抗して蘭方医が開設したのが医学所です。漢方医師の教育を担った「医学館」 江戸時代の医者には,幕府の医師だけでなく、各地の大名のお抱え医師である藩医、町や村...
2026.08.02 08:00タイコモチ医者、じつは名医?絶家した旗本を継いで開業 前回は、田舎から出てきた医者の槇島隆徳が産婆と組んで、将軍御側御用取次をつとめる土岐豊前守の妹の出産につけこみ、ありもしない症状を騙って不安をあおり、治療が成功したように思わせて感謝され、安産祝いの席で、兄の豊前守から「拙者の屋敷に来い」と声掛けをされた...
2026.07.26 08:00幕府医師のピンとキリ世襲できない奥医師 江戸時代は身分制社会でしたから、父親の職業とその地位を長男が代々継承していくというのが基本ルールでした。幕府内における地位も同様です。前回まで取り上げてきた川路聖謨のように、下級武士から旗本の最高ポストに到達するようなケースは、ごくわずかな例外にすぎません。し...
2026.07.19 08:00川路聖謨の末路井伊大老が川路を左遷 これまで、4回にわたって川路聖謨を取り上げてきました。というのも、下級武士の出でありながら異例の出世をした川路は、行く先々の部署で卓越した業績を残した、まさに幕臣のスーパースターだと思っているからです。島津斉彬が「時事談の友」としたというのも、よく分かります...
2026.07.12 07:00川路聖謨と北方領土ペリーの1ヶ月半後に来たのは? 島津斉彬の「時事談の友」だった川路聖謨ですが、彼を語る上でどうしてもはずせないのがロシアとの交渉です。日本の開国といえば、まず連想するのが「黒船来航」。嘉永6年(1853)にアメリカ東インド艦隊司令長官のペリーが軍艦4隻で浦賀に現われて、開国と通商...
2026.07.05 08:00川路聖謨と鹿政談鹿政談とは 上方落語の演目のひとつに『鹿政談』というのがあります。噺(はなし)の始まりはこうです。江戸時代の奈良では、鹿は「春日大社の神様の使い」とされており、鹿を殺したものは死罪というきまりがありました。ある日の早朝のこと、正直者の豆腐屋が豆腐を作っているときに、店先においてい...
2026.06.28 08:00新人佐渡奉行川路聖謨の感化力40歳で奉行に 島津斉彬の「時事談の友」と称された川路聖謨について、前回は父親のきびしい教育ぶりをご紹介しましたが、有名な人物なので幕吏になってからのエピソードもたくさん伝わっています。今回はその中から、佐渡奉行時代の勤務ぶりをご紹介します。以前、『幕府役人のキャリアパス』の話に...
2026.06.14 08:00老中のキャリアパス徳川幕府の大臣職 旗本のキャリアパスについて説明したので、ついでに老中のキャリアパスにも触れておきます。ご存じのように老中というのは現在の日本政府でいえば閣僚にあたるポストです。老中を閣僚とすると、その上には総理大臣にあたる「大老」職がありますが、こちらは臨時に設けられるポストで...
2026.06.07 08:00優秀な人材は下級武士から有為の才は俗吏に多し 前回の冒頭に、幕末に軍艦奉行や勘定奉行などをつとめた木村喜毅の言葉を紹介しました。彼は、幕府の官吏登用にはキャリア官僚となる「武人」とノンキャリア官僚である「小吏」の2種があると説明しています。木村の出自は代々浜御殿(現在は東京都中央区にある浜離宮恩賜庭園)...
2026.05.31 08:00幕府役人のキャリアパス番士と小吏 現代日本の諸制度は江戸時代とつながっていると感じることが多いのですが、役人のキャリアパス(役職につくために必要なスキルや経験すべき部署)に関して、江戸幕府要人の興味深い発言を見つけました。幕末に軍艦奉行として勝海舟を従えて咸臨丸でアメリカに渡った木村喜毅(よしたけ)が...
2026.05.24 08:00日本の科挙となった学問吟味超難関試験 前回は旗本の筒井政憲が昌平坂学問所の学問吟味で甲科及第したのをきっかけに、昇進をかさねてとうとう旗本のトップの役職である江戸町奉行になったという話をしました。学問吟味の内容について、国立公文書館のホームページには次のように書かれています。学問吟味は初場(予...
2026.05.17 08:00斉彬の学問の師は名奉行名奉行三人のひとり 前回、島津斉彬は幕臣との交流も多かったのですが、なかでも「学問の師」と呼ばれて尊敬されていたのが筒井政憲(つつい まさのり)です。筒井政憲は安永7年(1778)に、5100石の大身旗本久世広景の次男として生まれ、21歳の時に旗本(2200石)筒井正盈(まさみつ...