恒産なくして恒心なし

生活の豊かさが先

 7月に行なわれた参議院選挙のとき、インターネットでは候補者へのインタビューや討論がよく流れていました。

ブログ主もちょくちょく見ていたのですが、そのなかで特に印象に残った場面がありました。

(質問者)
「これからは心の豊かさが大事だ、政党はそれを目指すべき」
(候補者)
「心の豊かさは、国民の6割が生活が苦しいと言っているときには絶対生まれない、あなたは豊かだからそれを感じていないのだと思う。
6割の本当に生活が苦しいと言っている人に『あなたたち、心の豊かさですよ』と言えますか?
政治がそれをいったらおしまいだと思う。
まずは成長軌道に戻すこと、なぜなら日本は国民が非常に勤勉だから普通にやっていれば成長できるはず。
そこに政治がいままで足枷手枷をはめすぎた、これを外していくことが大事」
【2025年7月17日21:00放送 ABEMA Prime  「参院選 政党研究!⑨日本保守党」】

印象に残った理由は、島津斉彬の考えと同じだったからです。

幕末に斉彬がやろうとしたのは、西欧列強の侵略から日本を守り植民地化を防ぐことでした。

それを言葉にしたのが「富国強兵」です。

そのためには、300年近く続いた太平の世になれて、前例主義におちいっている人々の意識を変えさせる必要があります。

現状維持を良しとする意識をすて、すぐれた技術を世界中から取り入れて、日本を変えていこうという気持ちにさせねばなりません。

そのときにまず着手したのが、米価を下げることでした。

以前のブログ「斉彬は米価を引き下げた」でも、斉彬が藩主になって最初に行なったのが米価引き下げだったことを書きましたが、どうやって下げたのかという方法論が主題でした。

今回は、「なぜ意識改革の手始めが米価引き下げだったのか」についての説明です。

農夫に話しかける斉彬(『照國公感旧録』挿絵 部分)



頑迷不霊から脱却

島津斉彬の側近だった川南盛謙が明治37年の史談会で、このように語っていました。(読みやすくするため現代仮名づかいに変えて、一部漢字を平仮名にし、カギ括弧と句読点をおぎなっています)

人心を調和して、よく君命を奉じ、また条理もわかるように致されますは、
「ともかく人民の困窮を救うが人事の重要案件である。
いわゆる恒産あるものは恒心ありで、食うことに困る者に条理を説いても仕方がない」
それで士気を養うに廉恥を知らしめ、平生救恤(きゅうじゅつ:生活困窮者を救済すること)ということについてすこぶる注意をそそがれました。
「人々をして安らかに行かるるようにしていかねば、国政のあがることはないものである」
というかねての趣旨について、士(さむらい)庶人に限らず、救助については種々手段を尽されましたため、藩内の人心「神のようである」と帰服したものである。
それでのちには人心自然に落ちついて決して疑いを容れぬ。
それは畢竟人心を懐けることに注意のあった結果でござります。
【寺師宗徳「島津斉彬公逸事附川南盛謙君の事歷」『史談会速記録 第149輯』】

新藩主となった斉彬は、「日本を豊かで強い国にして植民地化をふせぐ」という目的を達成するために、まず薩摩を変革し、それを日本全国に波及させようとしました。

しかしそのころの薩摩藩士の考え方は戦国時代のままで、「頑迷不霊(がんめいふれい:頑固で道理がわからず頭がわるい)の連中が多かったから、主君の命令といえども腹を切って拒むといえば押さえようがない」(寺師前掲書)というありさまでした。

そこで斉彬は、人々がものごとの道理を理解して藩主の指示にしたがうようにするため、困窮している人たちの生活を安定させることに着手したのです。

「食うことに困る者に条理を説いても仕方がない」のとおり、生きることに精一杯の人間に高邁な理念を説いても、日々の暮らしに追われている人たちには理念など聞く余裕がありません。

冒頭にあげた参院選候補者が、「心の豊かさは、国民の6割が生活が苦しいと言っているときには絶対生まれない」と発言したのと同じ発想です。

藩主がやるべきことは藩士や領民の暮らしを豊かにすることで、ビジョンを説くのはそれができてからというのが斉彬のやり方です。

それで、まずは困窮している藩士や領民に金銭や米を配るなど、生活支援に力を注ぎました。

その結果、生活が安定した人々は斉彬を神のように思って、殿様の示した方針にはいっさい疑いをいだかず、忠実に従うようになったのです。

明治維新の過程においてはどの藩も深刻な内部対立(ex.水戸藩:諸生党vs天狗党、長州藩:正義党vs俗論党、土佐藩:上士vs下士)を引き起こしましたが、薩摩藩だけは藩士が一致団結して行動したことで維新のリーダーとなりました。

その原因をたどれば、斉彬が藩士・領民の生活を安定させたことにあります。


企業経営の基本も社員の生活安定

これは現代の企業経営においても同じです。

日本航空(JAL)のホームページを見ると、企業理念のトップに「JALグループは、全社員の物心両面の幸福を追求」と書かれています。

これに対し、他の有名企業は以下のようになっています。

トヨタ自動車:「可動性(モビリティー)を社会の可能性に変える」
ソニー:「クリエイティビティとテクノロジーの力で、 世界を感動で満たす」
日立製作所:「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」
イオン:「お客さまを原点に平和を追求し、人間を尊重し、地域社会に貢献する」
ファーストリテイリング(ユニクロ):「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」
【各社ホームページより】

共通するのは社会貢献です。

ではなぜJALは企業理念のトップに「全社員の物心両面の幸福」をかかげているのか。

それには理由があります。

JALはかつて経営危機におちいり、2010年1月に会社更生法の適用を申請して倒産しました。

そのとき企業再生支援機構に頼み込まれてJALの再建を引き受けたのが、当時京セラの名誉会長だった稲盛和夫さん(故人、鹿児島出身)です。

JALの会長に就任した稲盛さんは社員たちの心をつかみ、わずか3年たらずで巨大企業を復活させました。

稲盛さんがJALを再建したときのあらましは『企業再生になぜ「社員の幸せ」が必要なのか ―稲盛和夫名誉会長』という記事にくわしく書かれていますので、そちらを見ていただきたいのですが、記事の中で、稲盛さんはこう語っています。

どんな巨大な会社であれ、人間の体であれ、現場の社員、末端の細胞まで自発的に生きて、それが全体として調和のとれた動きをするためには、すべての組織が同じ哲学、同じ意識を持ってやらなければならない。
みんなが同じ哲学を共有するためには、自分たちの組織の目的は、自分たち個人にとって良いことだというのが、前提でなければなりません。
ですから、『全社員の物心両面の幸福』というのは、企業理念としてはエッセンシャルなもの、基本的なものなのですね。
だから現場の社員まで、本当に自分の会社だと思えるためには、「JALは自分を愛してくれる、自分を大事にしてくれる会社だ」という意識がなければならないと思ったので、JALグループ企業理念、JALフィロソフィづくりから始めたのです。

薩摩藩も斉彬の曾祖父重豪の時代に、500万両というばくだいな借金をかかえて、企業でいえば倒産のような状況におちいっています。

藩の収入が年間15~6万両だったので、利息も払えない状態でした。

斉彬が藩主になるすこし前に、家老の調所笑左衛門が「無利息250年分割払い」という法外な条件変更に成功して藩の財政を立て直していましたが、藩士や領民の生活はまだ苦しいままでした。

つまり斉彬が藩主に就任して「日本を変えるために、まず薩摩から変えていこう」と動き出したときの薩摩藩は、JALが企業再生支援機構の再建計画によって建て直しに着手したものの先は見えず、社員たちが将来に不安を覚えていたころと似たような状況だったのです。

「まず行なうことは藩士・領民の生活安定」という斉彬の考えは、JAL再建における稲盛さんの考えと相通じるものがあります。

斉彬の施策によって生活が安定した人々が「薩摩藩の目的は、自分たち個人にとって良いことだ」と理解したからこそ、薩摩藩は明治維新の最後まで一致団結した行動をとることができたのでしょう。

名君と名経営者の考えることは同じですね。

幕末島津研究室

幕末島津家の研究をしています。 史料に加え、歴史学者があまり興味を示さない「史談(オーラルヒストリー)」を紐解きながら・・・ 歴史上の事件からひとびとの暮らしまで、さまざまな話題をとりあげていきます。

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