2026.06.07 08:00優秀な人材は下級武士から有為の才は俗吏に多し 前回の冒頭に、幕末に軍艦奉行や勘定奉行などをつとめた木村喜毅の言葉を紹介しました。彼は、幕府の官吏登用にはキャリア官僚となる「武人」とノンキャリア官僚である「小吏」の2種があると説明しています。木村の出自は代々浜御殿(現在は東京都中央区にある浜離宮恩賜庭園)...
2026.05.24 08:00日本の科挙となった学問吟味超難関試験 前回は旗本の筒井政憲が昌平坂学問所の学問吟味で甲科及第したのをきっかけに、昇進をかさねてとうとう旗本のトップの役職である江戸町奉行になったという話をしました。学問吟味の内容について、国立公文書館のホームページには次のように書かれています。学問吟味は初場(予...
2026.05.17 08:00斉彬の学問の師は名奉行名奉行三人のひとり 前回、島津斉彬は幕臣との交流も多かったのですが、なかでも「学問の師」と呼ばれて尊敬されていたのが筒井政憲(つつい まさのり)です。筒井政憲は安永7年(1778)に、5100石の大身旗本久世広景の次男として生まれ、21歳の時に旗本(2200石)筒井正盈(まさみつ...
2026.05.10 08:00斉彬vs.直弼 ブレーンで大差井伊大老のブレーンは二人だけ 以前「井伊直弼はただの強情者だった」の話で、井伊大老が安政の大獄を行なったのはブレーンがいなかったから判断を間違えたのだという説明をしました。正確にはブレーンが「いなかった」のではなく、「ごく少数の人物しかいなかった」ということです。維新の興奮もおさ...
2026.05.03 08:00備蓄石油と常平倉物価安定が第一 アメリカとイランの戦争でホルムズ海峡が封鎖されているため、石油の供給がとどこおって、世界経済に大きな影響を与えています。日本は備蓄原油の活用や中東以外からの輸入拡大によって、ガソリンをはじめとするエネルギー価格の極端な上昇は押さえられていますが、ドイツでは一時ガソ...
2026.04.19 08:00井伊直弼はただの強情者だった言いだしたら聞かない 前回の一橋慶喜に関連する話になりますが、慶喜を家定将軍の世子にしようとする「一橋派」の運動を阻止した中心人物が彦根藩主の井伊直弼でした。井伊は安政の大獄を行なうなど強権をふるって幕府の権威を強化しようとしたものの、「桜田門外の変」で尊攘派の志士たちによって暗...
2026.04.05 08:00阿部正弘も斉彬を頼った政治の中心は阿部老中 激動の時代と称される「幕末」は、ふつう嘉永6年(1853)の黒船来航から、明治元年(1868)までの期間をさします。わずか16年という短い年数ですが、それまで200年以上続いた天下泰平の時代とは様変わりしました。それを端的に示しているのが、幕府の政治をつかさ...
2026.03.29 08:00斉彬はなぜ名君になれたのか?益友 タイトルがいきなり『ブラタモリ』のお題みたいになってしまいました。じつは、ここのところ、来月に照國神社で行なう講演「斉彬公交遊録~大名編~」のパワーポイント資料とレジュメの作成に取り組んでいます。その中でふと気になることがありました、それが「なぜ名君になれたのか?」です。島...
2026.03.22 08:00人使いはガマンから薩摩では「学者」は蔑称だった 今回は久しぶりに島津斉彬を取り上げます。斉彬が藩主になったときの薩摩は、まだ戦国時代の気風を引きずっていて、学問よりも武勇をたっとぶ風潮がありました。斉彬に侍医として仕え、明治政府で外務卿(外務大臣)をつとめた寺島宗則(旧名 松木弘安)が、明治18年...
2026.02.22 08:00下馬評従者はつらいよ 前回もふれましたが、大名や諸役人が江戸城に登城するときは、大手門の橋の手前にある下馬所のところで従者の数をへらして、玄関に向かいました。下馬所には「下馬」と書かれた高札が立っており、従者たちの多くはその近くに待機して殿様の下城を待つことになります。老中や若年寄など...
2026.02.15 08:00大名にもコーチがいた教えるのは誰? 先週の衆院選では高市自民党が歴史的大勝利をおさめました。今回初当選した議員が60人以上いるそうですが、今後「高市チルドレン」と呼ばれるのでしょう。そこで少し気になるのが、この新人たちの指導をどうするのかということです。以前であれば、ほとんどの新人議員は党内のいずれ...
2026.02.01 08:00大名は画力も必要大名の宴会では「ライブペインティング」が人気 以前「能は大名のたしなみ」のところで、「大名の素養として茶道や和歌はとうぜんですが、欠かせないものが『能』です」と述べました。じつは、それ以外にも必要なたしなみがあります。それは「絵が描けること」です。前回紹介した、富山市埋蔵文化財セ...