開化千字文
千字文とは
前回、江戸時代の寺子屋教育においては生徒ごとに個別のカリキュラムで教えていたと説明しました。
しかし、全員に共通して教えた科目もあります。
「手習い」、つまり習字です。
「手習い」の手本として一般的に使われたのが「千字文(せんじもん)」という、日常よく使う漢字1000字が書かれた書物でした。
作者は中国の梁(502~557)の文官だった周興嗣で、冒頭の「天地玄黄(てんちげんこう:天は黒く、地は黄色い)」「宇宙洪荒(うちゅうこうこう:宇宙は広く、混沌としている)」からはじまって漢字4文字の言葉が250組あり、マスターすれば漢字1000字が書けるようになります。
中国の古典を学ぶことが学問だった江戸時代にはこの千字文を知っていればかなり用が足りたのですが、明治になって西洋の新知識をかたっぱしから日本語に置き換えていくと、旧来の千字文ではフォロー出来ない言葉があふれてきました。
開化千字文
このような新造語の急増に目をつけたのが、幕末維新の実録小説を手がけていた戯作者の松村春輔(まつむら はるすけ)です。
彼はさっそく千字文の明治版ともいうべき『開化千字文』という本を書いて、明治6年に出版しました。
たまたま手に入れる機会があったので、今回はこの本をご紹介します。
『開化千字文』見返し
同書の巻頭にはこう書かれています。(原文のカタカナと漢字の一部を平仮名に変えて、句読点をおぎなっています)
此の書は現今御布令に記載ある所の熟字或は通常往復に用いるべき漢語等を撰び出し、ほぼ周氏が千字文に倣ふといえども、韻脚は更に用いざるなり。
【松村春輔『開化千字文』文溪堂 明治6年】
モデルにした周興嗣の『千字文』は、漢詩のルールに従って脚韻をふんでいる(=決まった場所におなじ音の字をおいている)のですが、『開化千字文』は漢字4文字の形はとるものの脚韻は無視するとことわっています。
当時は脚韻という漢詩のきまりを理解している人が多かったので、このような弁解をしたのでしょうが、現代なら何のことかわからずにかえって混乱しそうです。
習字手本だが
「現今御布令に記載ある所の熟字」を集めたと書いてあるように、『開化千字文』は習字の手本ながら、明治の新知識と思われることばが並んでいます。
ながめていると当時の人々の高揚感が伝わってくる、そんなことばがたくさんあります。
たとえば下の左頁には「交際貿易」「津港互市」「五州万国」「地球世界」「英阿孛仏」「巴里倫敦」「支那朝鮮」「蝦夷台湾」「車馬砲艦」「蚕紙米茶」と書かれています。
『開化千字文』本文手本
この頁からは、海外との交易で国を豊かにしようとの気持ちが伝わってきます。
「英阿孛仏(えいあはいふつ)」は、イギリス・アメリカ・プロイセン(ドイツ)・フランス。
「巴里倫敦」は、パリ・ロンドンです。
「支那朝鮮」のつぎに「蝦夷台湾」とあるのは、江戸時代には北海道が「蝦夷地」という近隣国だったとの認識からでしょうか。
位置関係からは「琉球台湾」となりそうですが、沖縄は日本だが北海道は外国という扱いですね。
「車馬砲艦」で車や馬と砲艦をならべるのは乱暴な気がしますが、当時の軍隊には騎兵もいましたから違和感がなかったのかも知れません。
最後の「蚕紙(さんし:蚕の卵が産み付けられた紙)」と「米」「茶」は当時の主要輸出品です、明治初期の日本はまだ農業国だったので米も輸出していました。
ついでにいうと、千字文はすべて異なる漢字で構成されるため、さきほどの国名で「英米孛仏」と書きたいところが、こちらで「米」の字を使うために「英阿孛仏」となっています。
また習字手本1000文字の後には下の図のように活字体の文字にフリガナをつけて、学習に役立つようにしています。
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