大隈重信も久光を称讃

久光の説得に大隈を指名

 急激な西洋化に反発する島津久光に明治政府の施策を理解させようとして、木戸孝允板垣退助が面談しましたが、彼らはいわば前座で、きちんとした説明を行なう人物が必要でした。

そこで駆り出されたのが旧佐賀藩出身の大隈重信です。

大隈が久光と会ったときの様子が、大隈の回想録『大隈伯昔日譚』に書かれていました。

読みやすくするため、一部を現代語訳にしてご紹介します。(原文はこちら

さて久光はすでに上京しているので、三条(実美)首相をはじめ中央政府の枢機をにぎる人々は、親しく内外の事情を久光に説明して、その誤信・迷信をとくことで彼の不満不平の念をなくそうと望んだが、その説明を誰にやらせるかで大変困った。
薩摩藩の出身者は多く、長州藩の出身者も少なくなかったが、これらの人々は同じ藩または藩同士の関係といった事情から適任でないとされた。
そのような関係も事情もないものを求めると、私以外いないので、三条や勝(海舟)らは私に久光を説得させようとし、西郷(隆盛)も深くこれに同意して、私に要請した。
私は西郷その他の人々にくらべれば、久光との関係ははなはだ疎遠なのは、もとより言を待たないが、久光に嫌われている点では西郷よりもむしろこちらが上だ。
というのも私は急激な改革党の一人、というよりむしろ過激な破壊党の一員として、ありとあらゆる旧物を破壊し、百事の改革を企てたため、いまだに封建時代の習慣を抜け出せず何事にも保守をとうとぶ久光のような人は、これを喜ばないばかりか、さらに私を内閣から引退させろとの意見すら持っていると聞いた。
【円城寺 清『大隈伯昔日譚』】

急激な西洋化に怒り心頭の久光を誰が説得するかを明治政府の要人たちが押しつけあって、薩長以外の出身で、かつ改革の当事者でもある大隈に白羽の矢を立てたということです。

大隈は久光が西洋化の旗振り役である自分を嫌っており、内閣から追放せよと言っていることも聞いていましたので、久光の説明役から逃げようとしますが、三条や勝に説得されて、三条邸で勝が同席するという条件でしぶしぶ了承します。


大隈重信(国立国会図書館デジタルコレクション)


久光、大隈に意外な反応

『大隈伯昔日譚』には、久光に会ったときのようすが書かれています。

さきほどと同様に、一部を現代語訳にしてご紹介します。(原文はこちら

私と久光は互いにその姓名を聞いているとはいえ、その時まで一度も会ったことがなかった。
したがって今回が初対面となるだけでなく、その久光からたいへん嫌われているので、彼を説得してその誤信・迷信をとき、その不平不満の念をなくすことができるか否かは、当事者である私もたいへんおぼつかない思いであった。
しかし三条邸で会って互いにその胸の内を吐露したところ、私の想像と現実は正反対であることを知った。
さすがに彼〔久光:原注〕は大藩の君主だ、英俊の聞こえが高いとおり、風采言動も尋常の君主と同一視すべきでないものがある。
彼は頑固者でも、強情者でもない。
社交的で、学識があり、度量が大きく、ウイットに富む。
他の凡庸な人物とははなはだしく異なり、あっぱれ当時の名君、一世の英俊として毫も恥じるところがない。


大隈が話したのは中央集権国家の必要性です、内容と反応はこうです。

今日すべきは、内は百般の政治を整理統一して太政親裁の実をあげ、外は条約改正の大業を早く達成して、わが国を世界万国と並び立てることにある。
そのためには、先づ封建制を撲滅して藩を廃止し県を置き、かつこれまで続いてきた門地・門閥の仕組みを破壊し、優秀で才能のある者を登用して、中央集権の実効を完遂することだ。
そのために中央政府が断固として旧態を破壊しすべてを改めようとしている、その外のことを考えてはいない。このような話を五~六時間かけ、内外の情勢などさまざまなことを丁寧に反覆して、ほとんど余すところなく説明した。
久光もその大体においては、さしたる反対の議論を唱えることもせずに快く私の解説に頷いていたことから、私はひそかに案外の好結果として満足しただけでなく、わずか一夕の談話にて、当世の名君、一世の英俊として、深く彼を尊敬する気持ちになった。


久光を融通のきかないガンコじいさんだと思っていた大隈でしたが、じっさいに会ってみると洗練された知識人で、久光とは正反対の意見をのべる大隈に対し、くってかかることもせずにきちんと話を聞いていました。

大隈は、そのような久光の態度に敬服して、「当世の名君、一世の英俊」をほめたたえたのです。

ただし久光は大隈の意見に賛同したわけではありません、「大隈のいうことは理解するが、自分の考えはそうではない」というのが久光のスタンスです。

久光は相手が真摯であれば、異なる意見でもきちんと耳を傾けています。

最近のテレビ討論番組でよく見られる、相手の話をさえぎって自分の主張をまくしたてるというスタイルとはだいぶ違うようですね。





幕末島津研究室

幕末島津家の研究をしています。 史料に加え、歴史学者があまり興味を示さない「史談(オーラルヒストリー)」を紐解きながら・・・ 歴史上の事件からひとびとの暮らしまで、さまざまな話題をとりあげていきます。

0コメント

  • 1000 / 1000