文明と文化は別物

板垣、久光説得に駆り出される

 前回、板垣退助が史談会で語った、明治政府の急速な近代化に反対する島津久光を上京させて、木戸孝允が久光のところへ説明に行った時の話をご紹介しました。

今回はその話の続きです。(読みやすくするため、一部漢字を平仮名にしてあります)

ついでに申しますが、とうとう私にも久光公の所へ行けという事でありまして、参りました。
そのとき私は久光公に向って、 
「今日はお叱りをこうむりに参りました、私は常々容堂に叱りつけられて居りますから、お叱りを受けることは案外慣れて居ります」 
と言って、四民平等論廃刀論とを致して、しきりに久光公にお逆い申して帰って来た。
そこで三条公がドウであったかと言わるるから、 
「始めお断り申上げた通り、盛んにお怒らせ申して参りました」
 と申しました。
その後二日程経って大久保〔利通:原注〕が来て、
「板垣さん非常に好都合でありました。
久光が申すに、今迄乃公(だいこう:自分)の所へ来る者は、皆乃公の機嫌をとり、やれ横浜を見物するがよかろうなど人を馬鹿にするが、板垣のみは真面目に四民平等廃刀という事を説いて行ったと言って、非常に喜んで居りまする。
ドウかたびたびお出を願いたい、貴方に感謝します」
 というので、私は
「それは実に意外である、久光公は余程お怒りになって居らるるであろうと思って居りました」
と言って笑ったことがござります。
これでも久光公の人物がわかるだろうと思う。
【板垣退助「山内容堂公行実幷(ならびに)板垣伯同公世評の弁明附六十二節」 『史談会速記録第223輯』】


板垣退助(国立国会図書館デジタルコレクション)


兄の斉彬もそうでしたが、久光もリアリストでお世辞やおべっかを嫌います。

たとい自分と反対の意見でも、堂々とそれを述べた板垣には好感をおぼえたようです。

本来であればこの説明は大久保利通がすべきだと思いますが、西郷と同じく大久保も旧主の久光を苦手としていたことがよくわかります。


ベルツの驚き

久光が明治政府の進めている急速な西洋化に反対していたのは、それが日本人の道徳感や伝統的な考え方(久光は「大和魂」と呼んでいます)をこわして、社会が不安定になってしまうことを恐れていたからです。

久光は教養人ですから、文明と文化の違いを理解していました。

しかし、下級武士出身で学問よりも討幕運動に力を注いでいた明治政府の高官たちには、そのような理解力は備わっていません。

西洋の進んだ工業製品を目の当たりにして、なんでもかんでも西洋化すればいいと短絡的に考えたのでしょう。

しかもこのような考えは明治政府高官だけでなく、当時の「教養ある人々」に共通していたようで、明治9年(1876)に来日したドイツ人医師ベルツがこのように書いています。

日本人に対して単に助力するだけでなく、助言もすることこそ、われわれ西洋人教師の本務であると思います。
だがそれには、ヨーロッパ文化のあらゆる成果をそのままこの国へ持って来て植えつけるのではなく、まず日本文化の所産に属するすべての貴重なものを検討し、これを、あまりにも早急に変化した現在と将来の要求に、ことさらゆっくりと、しかも慎重に適応させることが必要です。
ところが――なんと不思議なことには――現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。
それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。
「いや、何もかもすっかり野蛮なものでした〔言葉そのまま!:原注〕」
とわたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱりと
「われわれには歴史はありません、われわれの歴史はいまからやっと始まるのです」
と断言しました。
【トク・ベルツ編 菅沼竜太郎訳『ベルツの日記(上)』岩波文庫】 

江戸時代の日本は儒教の一派である朱子学を唯一の正統な学問とした結果、儒学者が学問の権威として君臨していました。

彼らは日本の歴史や文化を知ろうともせず、ひたすら中国をあがめていたようです。

薩摩藩の藩校造士館の教員も同様で、斉彬はこのように布告しています。

造士館の学風は、程朱の学(朱子学)のみ講習し、我が生国(日本)の史籍は度外に措き、人によりては却って我国を賤しめ唐土(中国)を尊重し、何も彼も唐風にせんと謂うものもありと聞及べり、甚だ心得違いなり。
【国学館幷洋学所開設御目論見、付、関八田後醍院石川ノ四名ヘ取調御内命ノ事」『島津斉彬言行録』岩波文庫】

時代が江戸から明治にかわったので、あがめる対象が中国から西洋にかわっただけです。

むしろ西洋人のベルツの方が日本文化の価値を理解していて、久光に近い気がします。

現代の日本でも、外国を称讃して日本をおとしめる「知識人」がマスコミによく登場します(というか、そういう人しか出してもらえない?⇐個人の感想です)が、これは文明開化の頃から進歩していないということでしょうか。


幕末島津研究室

幕末島津家の研究をしています。 史料に加え、歴史学者があまり興味を示さない「史談(オーラルヒストリー)」を紐解きながら・・・ 歴史上の事件からひとびとの暮らしまで、さまざまな話題をとりあげていきます。

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