君子は鄙事に多能なり
細かなことまでよく知っていた
前回に続き、旧土佐藩士で山内容堂の侍読をつとめた細川潤次郎が史談会で語った島津斉彬の逸話です。
斉彬の義理の甥(妹の養子)で親密なつきあいをしていた容堂に、細川が斉彬の人物像をたずねたときのやりとりです。
ある時予(細川)容堂に向かい、
「薩摩守殿(斉彬)は、当時明智の君主たりとの聞え高し。
君(容堂)には常に親しくご交際もあらせらるれば、その人となりもよくよくご存知なるべし。
誠なるや」
と問いたりしに、容堂いわく
「薩摩守はじつに珍しき人物なり、よく民間の細事に熟知せり、これはわれらの遠く及ばざるところなり。
たとえば座席上の品物にして、茶器その他炊器等の細小品々に至るまでも、つまびらかに時価の高低までも諳知せられ、常に予等にも教示あり。
如何にも君子は鄙事(ひじ)に多能なり(=君子はとるにたらないようなことにも長けている)とも申すが、不思議に思い入ることなり。
いずれより知らるるものなるか、測り知るべからず」
と申せしことあり。
これ当時大名の風儀を申せば、ただ尊大を極めて毫も民間の情実を知るもの少なし。
いわんや身微行して親しく物価を取調ぶることも行われ難かるべし。
いかにして知られしかと、当時人々大いに驚き評し合いたりきと。
【「島津家事蹟訪問録 男爵細川潤次郎君ノ談話 島津斉彬公逸事談」 『史談会速記録第182輯』】
容堂は、斉彬が「民間の細かなことがらまでよく知っていて、身のまわりのさまざまなものの値段にもくわしく、自分たちにも教えてくれるが、どこからそんなことを知るのか不思議だ」と語っています。
山内容堂(国立国会図書館デジタルコレクション)
並の大名とは大違い
細川は、「そのころの大名はただ尊大なだけで民間の実情を知っている者は少ない。
お忍びで外出して自分で物価を調べることも困難なはずなのに、どうやって知るのだろうかと人々は大変おどろいて不思議がった」と語っています。
たしかに、普通の大名はお忍びで民情視察することなどやらないでしょうが、斉彬は「おまはん誰なりや?」や「藩内では少数で移動し、領民の生活を観察」で述べたように、国元では時間があれば領内を視察して領民の実情を調べていました。
また、米価については勘定方に命じて日々報告させていただけでなく、別途側近にも調べさせて報告に間違いがないかをチェックしていました。
細川は斉彬を普通の大名と同じ枠組みの中で考えていますが、斉彬は彼らとはまったく違っていたのです。
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