2025.04.21 08:00失政をごまかそうとする人々参議院選挙が近いのに支持率が低下し続けている与党から「現金給付を」「いや商品券配布で」「クーポン付与がいい」などの声があがっていましたが、「バラマキ批判を受けるだけで逆効果だ」とのことで結局やめたようです。自公政治に対する国民の不満がどんどん高まっており、このままでは7月の参院選...
2025.01.13 08:00鶴丸城でもお参りが 前回は飢饉に苦しんだ人々が御所に御千度参りをして、南門でお賽銭をささげた話をご紹介しました。じつは薩摩藩にも似た出来事があります。領内の士民が鶴丸城にお参りしてお賽銭をささげていたのです。それは島津斉彬が藩主になって間もないころでした。藩主になって最初の施策は領民の生活安定島津...
2024.11.11 08:00薩摩兵1名=旗本10名気位だけで戦意なし 前回、鳥羽伏見の戦いにやぶれて江戸に帰った徳川慶喜が、「あの旗本の家来を使って、薩長の武士に向って戦さが出来るか」と語った話をしました。じっさいのところはどうだったのか?そのころの旗本の様子について、さまざまな証言が残っています。まずは、京都に向って出発する...
2024.04.08 08:00大名の出来は家来で決まる優秀な家臣がいるから名君と呼ばれる 前回、大隈重信が初対面の島津久光を「尋常の君主と同一視すべきでない」とほめた話を紹介しました。「尋常の君主」つまり「普通の大名」というのは、政治を家老にまかせて優雅な日々を送っている殿様というイメージです。しかし、19世紀に西欧列強が周辺のアジ...
2024.03.18 08:00容堂をほめる久光に木戸が感服、しかし小説になると‥‥容堂、久光には遠慮せず 島津斉彬を尊敬していた山内容堂ですが、弟の久光に対してはそうでもなかったようです。旧土佐藩士の板垣退助が明治44年の史談会で、こんな話をしていました。(読みやすくするため、一部漢字を平仮名にし、送り仮名を加えています)明治六年に島津久光公が出て来られた。と...
2024.03.11 08:00久光と容堂はケンカで親しくなった?久光、初対面の容堂に持論をぶつ これまで島津斉彬と山内容堂の関係を述べてきました。では弟の久光と容堂はどうだったのでしょうか。久光は斉興と側室お遊羅の子として、文化14年(1817)に鹿児島で生まれました。容堂が文政10年(1827)生まれですから、久光が10歳年上です。山内家に...
2024.03.04 08:00山内容堂、斉彬の識見に感服新藩主容堂、吉田東洋の採用を却下される 前回細川潤次郎が話した「ワイロの使い方」について、後藤象二郎も島津家の事蹟調査で自宅を訪ねた市来四郎たちに同じ話をしています。それによると山内容堂が採用したかった人物というのは、土佐藩の参政となってさまざまな改革を行ない、のちに土佐勤王党に...
2024.02.19 08:00君子は鄙事に多能なり細かなことまでよく知っていた 前回に続き、旧土佐藩士で山内容堂の侍読をつとめた細川潤次郎が史談会で語った島津斉彬の逸話です。斉彬の義理の甥(妹の養子)で親密なつきあいをしていた容堂に、細川が斉彬の人物像をたずねたときのやりとりです。ある時予(細川)容堂に向かい、「薩摩守殿(斉彬)...
2024.02.12 08:00民間の細事まで知っているサトウキビの肥料は土佐のカツオの骨 以前に斉彬が領民の生活を観察していた話を紹介しました。じっさい斉彬は領内をこまめに巡視していたので、とんでもなく細かいことまで知っていて、周囲を驚かせたことがたびたびあったようです。今回はその一例として、島津家事蹟調査員が旧土佐藩で山内容堂の侍...
2024.01.01 08:00攘夷は何のため?前回、幕末の日本はじつは全員が尊王かつ攘夷派だったが、攘夷実行の時期が即刻か未来かという違いで対立していたというお話をしました。ただ、生麦事件のような突発的な事故や一部藩士のテロ行為を除くと、藩として積極的に攘夷を行なったのは長州藩(外国船砲撃)だけです。しかし、じつは長州以外に...
2023.12.18 08:00東北人から見た「薩摩人の気質」薩摩見聞記前回の「美少年礼賛」で旧長岡藩にうまれた本富安四郎(ほんぶ やすしろう)の話を引用しましたが、彼の話をもう少ししたいと思います。本富が鹿児島の盈進(えいしん)尋常高等小学校の教員として着任したのは明治22年(1889)西南戦争の12年後で、当時の薩摩はまだ江戸時代の気風...
2023.12.11 08:00美少年礼賛稚児と二才前々回の「禁門の変での捕虜、扱いは薩摩と会津で大違い」でとりあげた、小松帯刀の従卒石黒勘次郎が長州人捕虜の扱いについて語った談話に、「中には十六ばかりの稚児(ちご)なども居りましたが、これは可愛がられました」という言葉がありました。稚児というのは薩摩では元服(げんぷく)...