斉彬の西郷教育(2/3)WHYを教える

藤田東湖肖像
(京都大学付属図書館所蔵)

WHY(なぜそうするか)を教える

幕末は尊王攘夷思想をとなえる”水戸学”がさかんで、西郷隆盛がはじめて江戸に行ったころの水戸は、旧態依然とした幕府に不満をいだく侍たちの聖地となっていました。

西郷も水戸にあこがれていたひとりで、彼は江戸に着いて間もなく、水戸藩の藤田東湖らを訪ねています。

西郷の親友有村俊斉(海江田信義)が明治に語った『実歴史伝』には、西郷が”水戸の両田”といわれて有名だった藤田東湖と戸田忠太夫の二人に面会したところ、「たやすく他人に屈服することのない西郷が、藤田・戸田の二人には鬼神に対するようにおそれて敬服した」と書いてあります。

西郷の人為りや、資性素より倨傲に非ずと雖も、容易(たやす)く他人に屈することなし、然れども其(その)二翁を見るや敬畏敬服宛(あたか)も鬼神のごとく然り。
【「西郷と両田」続日本史籍協会叢書『維新前後実歴史伝一』】

次は安政2年か3年ごろに西郷がいわば『水戸かぶれ』の状態で、斉彬に水戸での評判を伝えたときのやりとりです。

安政2、3年といえば、西郷も江戸に慣れて少し自信を持ち始めたころでしょうか。

長い話なので一部省略して、現代文でご紹介します。(原文はこちらの140頁)

西郷「殿にはオランダ好きのクセがあると人々の評判です。とくに水戸人などがそう評判しており、私もそのように思っております」
斉彬(笑って)「お前もそう思うか。水戸人がなんと言おうがかまわない。日本は200年間を何もせず気楽に過してきたため、今や国中が疲弊している。
外国は日本の武力が衰えたのを見透かして迫ってきたので、このような状況になっている。昔の人がいうように、相手を知るのが用兵のポイントで、外交の根本だ。だから、相手の勝れているところを取り入れてわが方の欠点を補うのが政事の要点だ。
支那(中国)も日本よりいえば異国だ。英国・仏国・米国も同じく異国だ。昔から支那の礼学文物を採って政務を補い、今日のように開けたのではないか。
仏教も必要なところを取りいれて政事に加えたのではないか。
また西洋で発明された大小砲も、今では日本の武装の中心ではないか。
支那・天竺(てんじく=インド)・オランダそのほかヨーロッパ諸国のいずれからでも、その優れていることや良いものはことごとく取り用いてわが国の短欠を補い、日本を世界に冠たるの国となして、国威を輝かすことが大切なのだ。
何と評判されてもかまわない、近いうちに必ず気がつくだろう。国中の者にも伝えておけ。大事をなす者は目の前の毀誉(きよ=悪口やほめことば)を気にするものではない」
【「一二六 西郷隆盛洋癖云々御諫言ニ対シ御弁解ノ譚」『鹿児島県史料 斉彬公史料第三巻』】   

斉彬は西郷の視野をもっと広げるために、ものごとをWHY(なぜそうするのか)で考えろと指導していいます。

初心者にはHOWから教えますが、WHYを知っていれば応用がきいて変化に対応できるようになります。

斉彬はそれを西郷に分かりやすく教えているのです。

また、大きなことをなそうと思う者は、他人がそしっても気にせず(大事を為す者は目前の譏誉を顧るものに非らず)、自分が正しいと思うことを行なうようにとも教えています。

勝海舟が指摘したように、西郷隆盛という偉人はこのような斉彬の教育によってつくられていったのです。

幕末島津研究室

幕末島津家の研究をしています。 史料に加え、歴史学者があまり興味を示さない「史談(オーラルヒストリー)」を紐解きながら・・・ 歴史上の事件からひとびとの暮らしまで、さまざまな話題をとりあげていきます。

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