斉彬の西郷教育(1/3)HOWを教える
勝海舟
(国立国会図書館デジタルコレクション)
西郷は斉彬の教育を受けて人物となった
勝海舟は西郷隆盛について、
西郷は庭番をして、(斉彬に)ジカに度々(たびたび)お目にかかり、一々指図をされ、過激の事を言っては打叱られ、その教育を受けて人物となったのだ。
【巌本善治編 勝部真長校注『新訂海舟座談』】
と語っています。
じっさい、史料に残っている斉彬と西郷のやりとりをたどってみると、斉彬が西郷を順を追って教育していることがわかります。
その流れは、
① 仕事のやり方(HOW)を教える。
② なぜそうするか(WHY)を教える。
③ 教えずに考えさせる。
というものです。
仕事のやり方を教える
西郷は安政元年(1854)に江戸で庭方となり斉彬の密命を受けて動きますが、斉彬が西郷を指導していたことがよくわかる史料があります。
分かりやすくするため、現代文に書きなおしてご紹介します。(原文はこちらの766頁)
あるとき、西郷隆盛が(斉彬に)拝謁して種々伺いごとをしたあとに、(斉彬から)「近頃鹿児島から何か言ってきたことはないか、米の値段はいくらぐらいか、末々の評判(=町のうわさ)に珍しいことはないか」と聞かれた。
西郷が「米の値段は一向に不案内です」と申上げると、
「米価または末々の評判、善悪の説も聞き出せ。とかく下情に通じないと政治に不当な処置がおきる。
昔から下情が上に達しないことが国家の存亡にかかわるというのはお前も知っているとおりだ。
しもじもの気持ちについて役人たちはいい加減なことを言うのであてにならない。
したがって善悪の説を聞いて斟酌(しんしゃく)するのが政務の要点だ」
とおっしゃった。
【「四六七 下情上達ハ政事ノ要タリトノ御譚」「鹿児島県史料 斉彬公史料第三巻】
西郷の教育で、斉彬はまずHOW(どうやるか)から始めています。
米価や町のうわさ話など、政治にたずさわる者が知っておかねばならない情報の項目について教えていますが、ただ「米価を調べろ」ではなく、何のためにそれが必要なのかも説明していますし、西郷のプライドを傷つけないよう、「お前も知っているとおり(存じの通りなり)」と付け加えているところに、斉彬の気配りも読み取れます。
上司に命令されたからやるという受け身の仕事ぶりではなく、その仕事の必要性を理解させて部下のヤル気を引き出すようにしているのが、斉彬の上手さだと思います。
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