2024.08.12 08:00猿ヶ辻と鬼門封じ北東は鬼門 前回は猿ヶ辻の変についてお話ししましたが、この猿ヶ辻は京都御所の北東隅にあたります。京都御所の敷地は東西に短く南北に長い長方形となっており、その四隅(南東・南西・北西・北東)のうち、3つは凸形つまり直角に出っ張った形ですが、北東隅の猿ヶ辻のみ凹型にくぼんでいます。これ...
2024.08.05 08:00猿ヶ辻京都へ先日、久しぶりに京都を訪れました。目的は仙洞御所と桂離宮の見学です。仙洞御所は京都御所の東南に隣接する、上皇のお住まいです。建物の多くは嘉永7年(1854)の火災で焼失したままで再建されていませんが、美しい庭園は必見の価値があります。桂離宮は教科書でもおなじみの日本を代表す...
2023.09.24 08:00鳥羽伏見の古戦場巡り(番外編 新選組の幽霊)東軍戦死者埋骨地の碑を撤去したときに起きた「怪異」鳥羽伏見の古戦場巡り(5/6)を書いたとき、京都(淀)競馬場のとなりにある「戦死者慰霊碑」について、京都市歴史資料館情報提供システム『フィールドミュージアム京都』にある『京都のいしぶみデータベース』にある解説を引用しました。内容は...
2023.08.18 09:00鳥羽伏見の戦いと大坂城鳥羽伏見の戦いの終点は大阪鳥羽伏見の戦いで連戦連敗の旧幕府軍が、最後の拠点としたのが大坂城(当時の表記、現在は大「阪」城)です。大坂城は徳川幕府が西国支配の拠点とした名城ですが、歴代将軍で大坂城に足を踏み入れたのは3代家光までで、14代家茂が文久3年(1863)に上洛したときに訪...
2023.07.20 07:00鳥羽伏見の古戦場巡り(番外編 薩摩藩戦死者碑)以前に旧幕府軍の戦死者慰霊碑を紹介しましたが、戦死者はとうぜん新政府軍側にもいます。今回は薩摩藩の戦死者石碑を見ていきましょう。
2023.07.13 07:00頑固爺さん大原重徳と勅撰神道碑先日東京に行く用事があったので、ついでに谷中墓地に行きました。目的は幕末著名人の墓めぐりです。有名どころでは、最後の将軍慶喜、老中首座阿部正弘、宇和島藩主伊達宗城、次の一万円札になる渋沢栄一、薩英戦争の和平交渉を行なった重野安繹や村田銃の発明者村田経芳などの旧薩摩藩士も眠っていま...
2023.07.06 07:00鳥羽伏見の古戦場巡り(6/6)橋本の戦い 楠葉台場と高浜砲台前回の続き。4日目(1月6日)の戦いです。橋本関門大坂城を出て京都に向った旧幕府軍は、1日目に小枝橋・伏見市街で破れ、ついで高瀬川堤、千両松、富之森と相次いで敗北します。稲葉老中の居城である淀城からも入城を拒まれたため、さらに撤退して橋本の関門で新政府軍を迎え撃つことになりました...
2023.06.29 07:00鳥羽伏見の古戦場巡り(5/6)征討大将軍出陣 千両松~淀 前回の続き、3日目(1月5日)の戦いになります。征討大将軍任命戦いが始まった1月3日の夜、朝廷は仁和寺宮嘉彰(にんなじのみや よしあき)親王を征討大将軍に任じ、孝明天皇より天皇の命で出征する印となる節刀と錦旗を与えられました。
2023.06.15 05:00鳥羽伏見の古戦場巡り(3/6)伏見奉行所~恋塚寺前回に続いて、1月3日のもう一つの戦いです。伏見の戦い鳥羽街道で戦いが始まった午後5時ごろ、鳥羽の砲声を聞いた新政府軍(御香宮神社に陣取った薩摩藩砲隊)も伏見奉行所の旧幕府軍に向けて砲撃を開始しました。御香宮神社は伏見奉行所の北東にあり直線距離だと200mほどで、少し高くなってい...
2023.06.07 03:00鳥羽伏見の古戦場巡り(2/6)開戦地となった小枝橋前回の続きです、まずは端緒となった鳥羽の戦いから。小枝橋のやりとり鳥羽伏見の戦いの始まりは鳥羽街道にある小枝橋の南でした。鳥羽街道は鴨川にそって北上し、小枝橋で鴨川を渡って京の九条にある東寺に向います。慶応4年1月3日、京の守備を固めるため鳥羽街道を南進していた新政府軍(薩摩藩兵...
2023.05.30 23:00鳥羽伏見の古戦場巡り(1/6)京橋船着き場~伏見御堂5月下旬に京都をおとずれ、戊辰戦争のはじまりである鳥羽伏見の戦いの古戦場跡を歩いてきました。戦跡を紹介するまえに、まずは鳥羽伏見の戦いについて振り返ってみましょう。 もうひとつの「天下分け目の戦い」 天下分け目の戦いといえば、徳川家康が天下統一を確実なものにし...