日本は女性を大事にしてきた国
江戸時代でも日本は女性の地位が高かった
9月28日に発表された東京大学の次期総長予定者が、学内投票で過半数を獲得しているのみならず学者としての業績(論文の被引用数)でも圧倒的優位にたつ男性教授ではなく、その半数の票しかとれていない女性教授に決まったことから、「女性枠総長」として話題になっています。
「女性枠」というのは、「日本は昔から男尊女卑社会で、女性の地位が低い」ことから、女性が不利益をこうむっている社会構造を是正するための仕組みだそうです。
しかし歴史的にみると、東洋地域での比較ではありますが、日本は昔から女性の地位が高かったのです。
じっさい幕末に日本を訪れた外国人たちは、他のアジア諸国とくらべ日本では女性の地位が高いことに感心しています。
たとえば、嘉永6年(1853)に来航したペリー艦隊の報告書にはこのように書かれています。
日本社会には、ほかのすべての東洋の国民にはない、優れた特質がある。
それは女性が伴侶として認められ、たんなる奴隷として扱われてはいないことである。
女性の地位がキリスト教の規範の影響下にある国ほど高くないのは確かだが、日本人の母、妻、娘は中国とは違い、たんなる動産でも家内奴隷でもなく、トルコのハーレムに買われた女性のような、気まぐれな快楽の対象でもない。
一夫多妻制度がないという事実は、日本人があらゆる東洋諸国民のなかで最も道徳的で洗練された国民であるという、優れた特性を示す顕著な特徴である。この恥ずべき習慣がないことは、女性の優位性ばかりでなく、家庭道徳が広く普及しているという当然の結果にも現われている。
既婚女性が常に忌まわしいお歯黒をしていることを除けば、日本女性の容姿は悪くない。
若い娘は格好が良くて美しく、立ち居ふるまいも活発で自主的である。
これは、女性が比較的高い敬意を払われていることから生じる品位の自覚からきている。
日常の友人や家族同士の交際には女性も加わり、合衆国と同じように日本でもさかんに互いの家を訪問し合い、茶会を催す。
【M・C・ペリー F・L・ホークス編纂 宮崎壽子監訳『ペリー提督日本遠征記(下)』角川ソフィア文庫 286頁】
「一夫多妻制度がない」というのは、武家諸法度において大名の正室(正妻)が1名だけと定められていたことを指すのかも知れませんが、家を存続させねばならないために複数の側室(妾)をおいているのが普通だったので、この部分の認識は間違っています。
しかし、それ以外はこの報告書のとおりで、他のアジア諸国と比較すれば日本の女性は「高い敬意を払われて」おり、友人との交際ぶりを見てアメリカの婦人と同様だと感じたのでしょう。
日本女性は教育水準が高い
外国人たちは日本女性の知的水準が高いことにも感心しています。
以前「江戸庶民の学力(その1 国語)」でも紹介しましたが、慶応元年(1865)に来日したドイツ人のシュリーマンはこう述べています。
教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。
シナも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる。
【ハインリッヒ・シュリーマン著 石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫 167頁】
ペリーの報告書では、日本の女性はたんに読み書きができるだけでなく、教養があって才芸にも秀でているとほめています。
教育は帝国中に普及しており、中国とは異なって、日本の女性は男性と知的進歩を共有しており、女性特有の才芸に秀でているだけでなく、日本の文学にもよく通じていることが多い。
【ペリー上掲書 436頁】
さらに、女性の方が男性より優れていることを発見した外国人もいました。
「清潔は熱い!」で紹介したイギリスの初代駐日公使オールコックですが、彼は幕府公認で富士登山を行なったあと、熱海でゆっくり休養して買物を楽しみました。
そこであることに気づきます。
店の主人より、奥さんの方がはるかに計算が上手だということです。
われわれは、店という店をみなからっぽにしてしまい、しかも頭の混乱するそれらの店の主人たちと取り引きすることから生じるすべての楽しさを味わいつくしてしまった。
日本中どこでも、男はとくに計算がへたらしくて、この点ではヨーロッパ人のいわゆる「くろうと」の好敵手たる中国人よりもはるかに劣っている。
不思議なことに、女は、その主人よりもはるかに計算が上手である。
それで、足し算や掛け算をするときには、かならず主婦の調法な才能にたよったものだ。
【オールコック著 山口光朔訳『大君の都(中)』岩波文庫 208頁】
オールコック一行は熱海で骨董品や工芸品を買いあさったのですが、商店主たちは代金の計算に手間取ってあたふたするばかりでした。
オールコックは、計算能力では日本人は中国人よりはるかに劣っていると述べています。
しかし、店主の夫人たちはみな主人よりはるかに計算が上手だとわかったので、それからは店主ではなく奥さんに代金の計算をしてもらったようです。
勝川春潮「絵本栄屋種」(国立国会図書館デジタルコレクション)
きつい仕事は男に
日本では男女の役割分担がはっきりしていることに注目した外国人もいました。
これは幕末ではなく、明治24年に来日したフランス人の記録です。
日本で私の心を打ったことは、女性が辛い、嫌な仕事には決して就かされていないということである。
アジアの他の国ではそんな仕事も女性に与えられているのである。
特にインドではそうである。
この国では、私に説明させてもらえるならば、裕福な女性は決して外国人の目に触れることは無いのである。
しかしこの国でも、ロンドンの通りで見掛けられるように、一歩進むたびに、重い荷物や汚物の詰まった籠を頭の上に乗せて運んでいる哀れな女に出会うのである。
フランスの植民地では、女は船の荷降ろしをしている。
川へ汲みに行く水桶のぶら下げられた竹竿を肩の上に乗せて歩いている女がいる。
ヒンズー教徒あるいはアンナン(安南:ベトナム)の女は、こんな風に見ると、哀れな印象を受けるのである。
日本では女性は男性の生活の中に混じっている。
両性が、表向きには完全に平等の立場で生活しているのである。
(中略)
きつい仕事は男性の持ち分である。
この国の女性をとても快適にしてきたのは理性というものではないだろうか。
【E.カヴァリヨン「明治ジャポン 一八九一 文明開化の日本」C.モンブラン他著 森本英夫訳『モンブランの日本見聞記』新人物往来社 192頁】
これはカヴァリヨンというイタリア系フランス人が書いた『二五四日世界一周』という本の日本に関する部分を訳したものですが、訳者はあとがきで「金持ちの世界漫遊の旅の記録と言っても差し支えなかろう」と書いています。
カヴァリヨンは文中で「率直に告白するが、私にとって旅の最大の魅力と言えば、それは女性を観察することである」と自白しているように、行く先々で出会った女性たちの容姿やふるまいをこまかく観察して書き残しています。
日本では女性と男性の役割分担がはっきりしていて、「きつい仕事は男性の持ち分」とされているから、女性たちは「とても快適」なのだろうというのがカヴァリヨンの見解でした。
最近は男女の家事分担でもめている家庭も多いようですが、昔は「男子厨房に入らず」と言われました。
これは女性の領分に入り込んで邪魔をするなという意味だとブログ主は考えています。
専業主婦が主流だったころの言葉ですが、夫の稼ぎだけで一家を養うことができなくなった現在では、完全な死語になりました。
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