斉彬の学問の師は名奉行
名奉行三人のひとり
前回、島津斉彬は幕臣との交流も多かったのですが、なかでも「学問の師」と呼ばれて尊敬されていたのが筒井政憲(つつい まさのり)です。
筒井政憲は安永7年(1778)に、5100石の大身旗本久世広景の次男として生まれ、21歳の時に旗本(2200石)筒井正盈(まさみつ)の婿養子になっています。
筒井が26歳になった享和3年(1803)、昌平坂学問所で行なわれた学問吟味(試験)では甲科第一(首席)というすばらしい成績をおさめました。
そうして38歳で旗本エリートの登竜門となる「目付」に就任、その後長崎奉行になると思いやりのある政治で町の人々にしたわれ、筒井の武運長久を祈る額が地元の諏訪神社に奉納されるほどでした。(長崎奉行時代のエピソードはこちらにも)
44歳のときにキャリア組旗本の頂点ポストとなる江戸町奉行(南町)に就任し、64歳までの20年間南町奉行をつとめました。(通常は2~3年)
時代劇の影響で、江戸町奉行は刑事裁判だけやっていたように思われがちですが、そうではなく江戸の町人に関することはすべて町奉行の所管になります。
現代でいえば東京都知事と警視総監、東京消防庁・検察庁・裁判所の各長官という5役を兼務しているポストでした。
これを北町奉行と南町奉行が、月替わりで担当していたのです。
旧幕臣の栗本鋤雲(じょうん)は明治24年の学士会講演で、「これまで町奉行が何人いたか分からないが、今も名前が伝わっているのは3人だけだ」として、大岡越前守(忠相)、根岸肥前守(鎮衛)、筒井伊賀守(政憲)の名をあげています。
同じく幕臣だった大八木醇堂(おおやぎ じゅんどう)はこれに遠山金四郎を加えていますが、「筒井は根岸以来の町奉行で、この2人は大岡のような裁きをみせた」と述べたのち、「遠山は然らず、別に一基軸をなす」といって、3人とは路線がちがうとの見解です。
大岡・根岸・筒井の3人に共通するのは「知恵の裁き」ですが、遠山の金さんは‥‥「カッコいい裁き方」ですかね?
栗本鋤雲(国立国会図書館デジタルコレクション)
速断速決
栗本鋤雲は筒井南町奉行について、こう述べています。(読みやすくするため、一部漢字を平仮名にしています)
よく下情に通じ、部下を統御し、市民を愛卹(あいじゅつ:愛しあわれむ)し、毫も私なきこと、罪の有無を断ずるの明なること、速決にして遅滞せざることを以て、おおいに民人に服され、
およそ訴えんと欲する者、むしろ一箇月後るるとも、南市尹(しいん:町奉行)の月番を待ちて願い出んというほどになれり。
【栗本鋤雲「遺老瑣談」『東京学士会員雑誌』第拾三編之五】
筒井は町人たちの事情をよく知っているうえに、取調べにあたる部下もしっかり掌握しています。
市井の人々を愛しあわれみ、判定は公平無私かつ速決で、裁判が長引くことはなかったため、人々の信頼は絶大でした。
そのため、訴えを起こす者は1ヶ月待ってでも、南町奉行が月番の時に願い出るほどの状況になっていたそうです。
筒井が市井の事情をよく知っていたのには、理由があります。
筒井の実家は5100石という大身旗本ですから、町人にとっては雲の上の存在で、本来なら庶民の暮らしなど知りようがありません。
しかし筒井は、養子に入ってから、妻にも行き先を告げずに毎晩外出して深夜に戻るという生活を続けていました。
これを養家の親類たちが心配して、「学問と武芸に秀でているということだったが、こんな様子ではとても良家を相続することはできないだろう」と、養父正盈に離縁するよう持ちかけたのです。
しかし正盈は、「身持ちが悪いように見えるが、毎晩帰宅後は書斎に入って朝まで読書しているのでまったくダメなわけではないから、見捨てるには忍びない」と反対したため、この話は終りました。
養父の見込どおり、政憲はその後順調に出世して、筒井家の家名を高めたのです。
毎晩の外出で何をしていたかは不明ですが、親戚が心配するほどに遊んでいたのであれば、当然町人たちとも交流していたでしょう。
この時の経験があったから、下情に通じた名奉行になれたのかもしれません。
牢屋がカラになった
栗本鋤雲は同じ講演の中で、漢学者大槻磐渓(おおつき ばんけい)が語った話として、筒井の面白いエピソードを紹介しています。
時期ははっきりしないのですが、家斉将軍の治世で江戸の人々が泰平の世を満喫していたころの話だそうです。
あるとき伝馬町の牢屋にいる囚人が減りつづけて、とうとう誰もいなくなってしまいました。
江戸時代の牢屋というのは現在の拘置所とおなじで、未決囚を一時的に収監するところです。
当時は拘禁刑という刑罰はなく※、行動を制限する場合には所払い(追放)や手鎖(てぐさり:手錠をはめて自宅謹慎)になりますから、牢屋に居続けることはありません。(※女子供で敲(たたき)刑に耐えられない者には同日数だけ入牢させるなど、若干の例外あり)
筒井は裁判が速いので、有罪の者は処罰のために牢から出され、無罪の者は釈放されてこちらも牢から出ていきました。
さらに裁判待ちで牢屋入りする者もいなくなったため、1ヶ月あまりの間、伝馬町の牢屋はヒッソリとして、餌が見つけられずに腹を空かせたネズミが白昼もうろつき回るという状況になりました。
そこに、たまたま一人の博徒が収監されることになって、牢屋に連れてこられたのです。
博徒は誰もいない牢屋を見て恐怖心にとらわれ、泣き叫んで哀れみを乞い、尋問される前に自分から進んで犯した罪をすべて白状しはじめました。
そうして、「決して包み隠しはいたしませんから、牢屋に戻さないでください」と歎願したのです。
薄暗いところに飢えたネズミが走り回っているだけの、だれ一人いない牢獄‥‥。
これは相当恐ろしい光景です。
泣いて歎願した博徒の気持ちもわかりますね。
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