急激な変化はダメ!
外国人問題再考
前回も取り上げた外国人問題ですが、産経新聞論説委員の遠藤良介氏が『一筆多論』というコラムのなかで、「急激に外国人が流入すれば」「日本の国柄が変わってしまう」と書いていました。
外国人流入の問題で決定的に重要なのは、「動態をしっかりコントロールすること」だと考えるからだ。
急激に外国人が流入すれば、地域住民との摩擦が確実に起き、ひいては日本の国柄が変わってしまう。最悪なのは理念も計画もなく、なし崩しで外国人が増えてしまうことである。
【2025年7月5日 「急増の外国人をどうする 45年後に人口の10%超え予測 元警察庁長官が提案する『基本法』」 産経新聞 コラム】
また、ユーチューブの『真相切り抜き!虎ノ門ニュース』でも元衆議院議員の丸山穂高氏が「急激すぎて日本の文化自体が変わってしまう」と発言していました。
丸山穂高「やっぱり文化面とかって非常に他の国見てても衝突が起きやすいので、特に日本人の場合は、まだ観光で来る場合にはおもてなしみたいなと結構日本流の今までやってきたルールがあるわけで、そこに結構馴染めなくてトラブルみたいな‥‥。
私も政治家やってる時、地元関空近かったんで、海外の方がいてみたいな相談を受けたりしてた。
それ結構、今、日本中でじわじわ出て、一番最たるものがそれこそ川口のクルドの話とかなんですけど、それでやっぱりどんどん問題になってきますよね。
例えばイスラム系の墓の土葬のどうするかというのも、わかりやすい話ですし、
これ急激すぎて日本の文化自体が変わってしまう。
やっぱり急激に変わることに対する警戒をもっとしないと、本質的にヨーロッパと同じことになると思いますね」
【「『移民先進国』JICAアフリカホームタウン騒動では自民党与党の政府が絶対に発信しない移民・外国人問題の本質・・・」真相切り抜き!虎ノ門ニュース】
いずれも、「異質の文化を有する外国人が急激に流入すれば、日本の伝統や文化が変わってしまう」という見解です。
じつは明治の初めにも、急激な変化で日本の伝統・文化が変わってしまうことを心配していた人物がいました。
島津久光です。
久光は急速な西洋化を危惧
島津久光は、明治政府が文明開化をスローガンにして急速な西洋化を進めることに反抗し続けたため、進歩的な兄斉彬とは反対の極端な保守主義者というイメージをもたれています。
斉彬がやろうとしていたのは、日本を西洋の植民地にさせないために、日本を西洋並みの近代工業国家に変えることでした。
久光はその斉彬のブレーンでしたから、斉彬の考え(以前にご紹介した「相手のすぐれているところを取り入れて、我が方の欠点をおぎなう(彼の長ずる処を取り、我の短闕を補う)」)をよく理解しています。
久光が反対していたのは西洋化そのものではなく、『急速な』西洋化だったのです。
久光は早逝した兄斉彬の遺志をついで、旧態依然とした日本を変えようと動きました。
そのために、旧例古格にしばられた徳川幕府をたおして新政府を樹立したのが明治維新です。
明治維新によって日本は近代化にふみだし、西洋の『政治的植民地』になることを免れました。
しかし新政府がなんでもかんでも西洋風に変えていったため、このままでは西洋の『精神的植民地』になってしまうのではないかと危惧したのです。
都城島津家の家臣で、のちに宮崎県選出の衆議院議員となった肥田景之(ひだ かげゆき)は大正5年の史談会で、若い時分に久光から教えられたことをこのように話しています。(読みやすくするため現代仮名づかいに変えて、一部漢字を平仮名にし、カギ括弧と句読点をおぎなっています)
私は若年ながら親しく伺ったことがありますが、子供にもていねいに教えられる。
「お前などは前途があるが、今後教育上最も大切なことで、今日の趨勢でうつる場合には三四十年の後になって見ると、我が国にある大和魂というものが自然消滅して、実に取返しのつかぬことになりはせぬかと思うと心配にたえぬ。
それでこれほど色々過激な様なことも申上げたが、これはたとえば物が傾いて既にこう倒れたものをまっすぐに直さんとするには十二分に引起さなくてはとてもおもう様にいかぬ、それと同様な訳である。
今日の如く一も欧米、二も欧米という様なことになってはいかぬ」
という意見で、私等都城の志士連中などもそういう風の島津公の意を遵奉しておりました。
【肥田景之「都城勤王諸士の事歷」『史談会速記録 第283輯』】
久光は、新政府の行きすぎた西洋化を押しとどめるためにわざと極端な保守的言動をしているのだと、肥田に語っています。
島津久光公銅像(朝倉文夫作)
久光の主張は明治政府に受け入れられず
政府の方針に反発を続ける久光に手を焼いた明治政府は、久光を政府に取り込んで考えを変えさせようとしました。
明治7年4月、明治政府は久光を左大臣に任命します。
実権のともなうポストについた久光は、翌5月に三条太政大臣と岩倉右大臣に対し、天皇の制服を洋服に変えたことや暦を太陽暦に変えたことなど20ヶ条の質問書をだして、意見を求めました。
ねらいは行きすぎた西洋化を抑えて、人心を安定させるためです。
この質問書は参議たちの意見を集約した付箋をつけて返されましたが、そこに書かれていた答は「ノー」でした。
失望した久光は、病気を理由に出仕しなくなります。
その後、出仕をもとめる政府と、それを拒んで辞表を提出する久光とのやりとりがくりかえされましたが、明治8年10月にようやく辞職が認められます。
明治9年4月、久光は東京を去って鹿児島にもどり、以後は政治の世界から離れました。
久光は明治18年8月に玉里島津家(たまざとしまづけ:久光を初代とする家)の後継となる忠済(ただなり:久光の七男)を相手に、左大臣時代を振り返って、このような話をしています。(読みやすくするため現代仮名づかいに変えて、一部漢字を平仮名にし、句読点と送り仮名をおぎなっています。原文はこちら)
己(おれ)が先年左府(左大臣)たりしときに当り、人心の傾きを察するに、あまりに奔(はし)り過るかの感あり。
また政府は益々おだてて止まぬから、必ず末には困難に行くならんかと考え、人心の睡(ねむり)を覚ます心得にて建言もなしたり。
今日より見ば過激なるが如きも、また時弊を救うの心持なり。
当時政府の仕向けは、険難の近路を行くかの如く、ただ早く早くと急ぐのみにて、行先の危険を思わざりしを以て、ついに落し穴に陥りかかり止むを得ず引戻すこともあらん。
己は迂路(うろ:まわり道)を取るも緩々(ゆるゆる)坦道(たんどう:平坦な道)を踏みて無難に行きつくの趣向なりしも、幾回の建議も水泡に帰し、ついに願意も貫かず果てたりしが今より思えば残惜しき事のみなり。
【『久光親話記2』大正6年写 宮内庁宮内公文書館所蔵】
くりかえしになりますが、久光が反対していたのは『西洋化』ではなく、『急速な西洋化』でした。
明治政府は最短距離を駆け抜けるようないきおいで近代化を進めているが、それはリスクが大きすぎるというのが久光の考えです。
近代化を進める手順は、回り道であっても平坦な道をゆっくり進む、つまりこれまでの文化や伝統をこわさないように時間をかけて進めていくべきだという意見でした。
日本文化は滅ぶのか
明治政府は急いで西洋文明を取り入れるために、江戸時代を暗黒の時代であったかのように扱って、自分たちの過去を否定しました。
思想史家の渡辺京二氏(故人)は名著『逝きし世の面影』の冒頭でこう述べています。
日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振った清算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。
だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて十分に自覚されているとはいえない。
十分どころか、われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。
つまりすべては、日本文化という持続する実体の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。
【渡辺京二『逝きし世の面影』 葦書房】
つまり、明治以降の日本は江戸時代とはまったくちがった文化になっていると見ているのです。
とはいえ明治の日本文化は、それでもまだ西洋とは異質のものでした。
明治22年(1889)に来日したイギリス人の作家エドウィン・アーノルドは日本人に向けた講演でこう語っていました。
あなたがたの文明は隔離されたアジア的生活の落着いた雰囲気の中で育ってきた文明なのです。
そしてその文明は、競い合う諸国家の衝突と騒動のただ中に住むわれわれに対して、命をよみがえらせるようなやすらぎと満足を授けてくれる美しい特質をはぐくんできたのです。
【渡辺 前掲書】
日本の文化は戦争にあけくれてきた西洋やアジア大陸の文化とは異なる、おだやかなものです。
私たちがあたりまえのように思ってきた日本の日常は、世界標準から見ると特別のものです。
今の日本政府は、人手不足対策として外国人労働者を急増させ、観光立国と称して外国人観光客を野放図に受け入れています。
その結果、各地でこれまでなかったような犯罪が多発したり、インバウンド客が傍若無人にふるまって観光地や神社仏閣が荒されるという事態が急増しています。
いまや国民の間に、「このままでは日本の文化が破壊されてしまう」という危機感が広まってきたように感じます。
安政2年(1855)に下田に来航したプロシャ商船乗組員リュードルフは、江戸文化の消滅を予言するような言葉を残しています。
日本人は宿命的第一歩を踏み出した。しかし、ちょうど、自分の家の礎石を一個抜きとったとおなじで、やがては全部の壁石が崩れ落ちることになるであろう。
そして日本人はその残骸の下に埋没してしまうであろう。
【渡辺 前掲書】
明治維新と昭和20年の敗戦という大きな変化を経験しながら、かろうじて残ってきた日本文化が、今まさに破壊されようとしています。
もはや日本には国を守る政治家はいないのでしょうか?
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