日本人は東洋のフランス人

ロシア文豪の見立て

 ロシアの文豪ゴンチャローフが、嘉永6年(1853)に日本にやって来たロシア艦隊のプチャーチン提督に秘書官として随行していたことは、「清潔は熱い!」のところで触れました。

ブログ主はロシア文学にはくわしくないのですが、『ゴンチャローフ日本渡航記』の訳者によれば、彼は「ツルゲーネフ、ドストエフスキイ、トルストイとともに十九世紀ロシア文学を代表する長編作家の一人であり、屈指の文章家として知られる」人物で、代表作『オブローモフ』は世界的名作といわれているようです。

そのゴンチャローフが、日本人と中国人をヨーロッパ人にたとえて、このように述べていました。

日本人はとても活発で素朴である。
彼らにはシナ人のような愚劣さはない。
たとえば、人間を愚かにする例の重苦しくペダンチックな、古めかしくて無益な学識はない。
むしろ逆に、彼らは何事によらず詮索し、何でも問い質し、そしてあらゆることを書きとめる。
かつて江戸に滞在したことのあるオランダの旅行者たちのほとんど誰もが、何か目新しい有益な知識を借りるために、日本の学者たちがわざわざ彼らのもとへ派遣されたと物語っている。
一方、シナの学者は自分の思想を生々とした日常の言語で表現することさえできないのだ。
それは禁制であるから、学者は書籍に書かれている通りに表現しなければならないのだ。
もし日本人が旧套を固守するとすれば、その新しいことの方がよいと信じているのに、ただ新しいものを恐れる結果である。
彼ら自身は自分に退屈して欠伸(あくび)ばかりしているが、そこへゆくと、シナ人にはそんなことはないらしい。
まさに日本人は――東洋のフランス人であり、シナ人は――ドイツ人である。
【イワン・A・ゴンチャローフ 高野明・島田陽訳『ゴンチャローフ日本渡航記』講談社学術文庫】152頁

要するに、古いものに固執する中国人はドイツ人に似ていて、新しいものにすぐ手を出す日本人はフランス人に似ているということのようです。

イワン・A・ゴンチャローフ肖像(ウイキメディア・コモンズ)


フランス人の見解

ゴンチャローフが述べているのは、ロシア人の目から見ればそのように見えるということですが、当のフランス人はどう思っていたのでしょうか。

幕末にフランス公使として赴任し、薩摩に接近するイギリスに対抗して幕府側ついたロッシュは、来日して9ヶ月が過ぎた1865年1月16日付の本国外務大臣あて書簡にこのように書いています。

おそらく、フランスの外交官たちが洗練された物腰を保ちながら原則をあくまで守ってきたその公平な政策のおかげで、またフランスの国民性と日本の国民性の間に見られるある種の類似性もてつだって、大君政府はわが国に好意をよせるようになったにちがいありません。
老中との第一回会談をのぞけば、小生はどのような地位・位階の日本の役人との交際にも満足しています。
彼らはみな聡明かつ繊細で、巧みにねばりづよく議論をし、しかも道理がはっきり示されるとそれに従います。
【鳴岩宗三『幕末日本とフランス外交 レオン・ロッシュの選択』創元社】51頁

元治元年(1864)3月に来日して着任したロッシュは、前任者ベルクールの行なっていたイギリス追随外交から決別するため、幕府に急接近していきました。

その結果、横浜製鉄所建設やフランス軍事顧問団招聘など幕府近代化の後ろ盾となって、表面上中立(じつは薩長など西南雄藩を支持)政策を取るイギリスとはげしく対立することとなります。

上の書簡にある「国民性が似ている」という見解は、幕府への説明ならたんなるリップサービスかも知れませんが、本国の外務大臣に出した報告ですから、これはロッシュがそのように感じたのだと思います。

でも、国民性のどこが似ているのかは書かれていません。


デンマーク人の見解

日本とフランスの国民性における「ある種の類似性」とはどういうことなのか、ロッシュは具体的な内容を示していないので分からないのですが、ひとつヒントがありました。

デンマーク人で、フランス海軍に入り、1866年(慶応2年)から67年にかけて日本に滞在したスエンソンは日本人を観察した結果をこのように書いています。

ユーモアがあってふざけ好きなのは(日本の)すべての社会階層に共通する特徴である。
上流の人間は無理にかぶった真面目くさい仮面の下にそれを隠しているが、威厳を保つ必要なしと判断するや否や、たちまち仮面を外してしまう。
その点、下層の連中は自分の性格に枷をはめるような真似はしない。
煙管を吹かしながら湯沸かしののった長火鉢のまわりに集まると、口々から冗談が飛び交い、悪意のないからかいが始まる。
こうして皮肉を浴びせ合っても、誰もむかっ腹を立てるようなことはない。
その心持ちはフランス人と共通していて、フランス人の性格中、とりわけ陽気さと礼儀正しさが日本人の心をとらえるのも納得できるというもの。
【エドゥアルド・スエンソン 長島要一訳『江戸幕末滞在記 若き海軍士官の見た日本』講談社学術文庫】121頁

スエンソンは父親がデンマーク海軍の中将で、自らも海軍軍人となり、当時のデンマーク海軍のエリートコースとしてフランス海軍で修業していました。

1865年に東アジアに派遣され、フランスの植民地であったベトナムに6ヶ月滞在したのち、中国経由で日本を訪れ、1866年(慶応2年)8月から翌1867年7月までの1年間を日本で過ごしています。

翻訳者の長島要一氏によれば、24歳の「スエンソンは好奇心のかたまりとなって横浜や大坂の町を歩きまわり、人類学者のような目でもって人々を観察した」そうです。

その結果、表面上は「真面目くさい仮面」をかぶっているが本心は「ユーモアがあってふざけ好き」であることに気づき、これがフランス人の「陽気さと礼儀正しさ」と共通すると見ています。

そのように言われてみれば、何となくわかる気がします。

ブログ主としては、マイスター制度のような職人気質や、几帳面で時間厳守なところなど、フランス人よりドイツ人の方が日本人に似ていると思っていたのですが、ヨーロッパの人々の見立てはちがったようです。

中国人の旧習墨守で堅苦しい性格はドイツ人の厳格さに通じ、日本人の表向きは真面目だが実は楽天的な性格がフランス人の陽気さと共通するということでしょうか。

国がちがえば目のつけどころも違うということですね。


幕末島津研究室

幕末島津家の研究をしています。 史料に加え、歴史学者があまり興味を示さない「史談(オーラルヒストリー)」を紐解きながら・・・ 歴史上の事件からひとびとの暮らしまで、さまざまな話題をとりあげていきます。

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