アヘン戦争、中国(清)軍のトンデモ作戦

敗戦ショック

 1842年(天保13年)、アジア最強といわれていた中国(清)が、アヘン戦争でイギリスに完敗したという情報は、日本の指導者たちに大きな衝撃をあたえました。

というのも、周囲の国を東夷・北狄・南蛮・西戎と呼んでさげすみ、みずからは中華と称していたアジアの大国が、西洋の小国にあっけなく敗れるとは思っていなかったからです。

当時まだ薩摩藩の世子(世継ぎ)だった島津斉彬は、この戦争に関する情報をまとめて『アヘン戦争聞書』(現在は尚古集成館が所蔵)を書いていますが、斉彬に限らず、日本の知識人はこぞって情報収集につとめ、イギリスの勝因(もしくは中国の敗因)を調べました。

主な勝因は優秀な武器や戦法でしたが、それだけではありません。

中国の敗因には、当時の日本でもバカにされるような、とんでもないものもありました。

今回はそれをご紹介します。

まずは道光帝の信任厚かった楊芳将軍の作戦から。


馬桶陣

アヘン戦争は1840年に勃発し、イギリス軍は広東への大規模な侵攻を開始しました。

1841年春、清の第8代皇帝道光帝は戦闘経験豊富なベテラン将軍の楊芳を広州へ送り、イギリス軍の侵攻に対抗するように命じます。

楊芳が広東に到着すると地元の官吏や庶民がこの有名な将軍を大歓迎し、まるで「万里の長城」がやってきたかのように安心したそうです。 

楊芳は戦場を視察して、イギリス軍のよく訓練された動きを目の当たりにし、さらに彼らの砲撃の精度と破壊力に驚きました。

陸上にある清軍の砲台はイギリス軍艦に当てることすらできないのに、イギリス艦隊の大砲は清軍の陣地に的確に命中して被害を与えています。

それは何故なのか?

よく考えた末、楊芳はこういう結論に達しました。

「我々は地上にいて、夷人は海にいる。

海上は波で不安定なのに、夷人は砲弾を正確に命中させられる。

だが、揺れない地上にいる我々の砲弾は当たらない。

これは夷人が『邪術』(邪悪な魔術)を使っているからに違いない!」

そこで楊芳は「悪霊を砕く」方法を考え出しました。

それは汚いものを使って敵の邪術を破るという作戦です。

彼は馬桶(マートン:女性用便器、おまる)を集めて排泄物で満たし、さらに無数のいかだを用意させました。

そうして糞尿で満たされた便器をいかだの上に置いて、イギリス軍を待ち受けます。

この便器いかだで、イギリス軍の邪術を打ち破ろうというのです。

楊芳はこの作戦を「馬桶陣」と名付けました。

イギリス軍が近づくと、大砲が鳴り響き、いかだが一列に並び、その上の便器はすべてイギリスの軍艦の方に向けられていました。

結果は予想通りで、この「トイレ陣形」はイギリス艦の強力な大砲には効果がないことがただちに判明します。

戦場には火薬の匂いと強烈な糞臭がたちこめ、混乱の中で壊滅的な敗北を喫した楊芳は呆然となり、戦いを放棄して、賠償と和平の交渉に入りました。


アヘン戦争(E.ダンカン筆:ウイキメディア・コモンズ)


仮面兵

杭州と嘉興の道台(司令官)宋国経の戦法は「仮面兵」です。

イギリス軍が浙江に到達したとき、宋国経司令官は正攻法では勝てないと考え、特殊作戦を計画します。

それは 有名な宋の将軍地清が、銅製の仮面をかぶり髪をほどいた恐ろしい姿となって、敵を破ったという故事にならうものでした。

彼は数百枚の紙製仮面を準備し、300人以上の地方民兵を募集しました。

この民兵たちに仮面をかぶらせて、神鬼を装った「特殊部隊」を編制し、秘密を守るため政府の事務所内で昼夜を問わず演習させました。

イギリス軍が侵攻してきた時、この仮面をかぶった300人以上の民兵が刀や鎗を振りかざして、踊りながらイギリス軍に向っていきましたが、たちまちイギリス兵の砲火にあい、「ワッ」という叫び声を上げて一目散に逃走しました。

ちなみにイギリス軍の侵攻は真っ昼間に行なわれたので、怖がらせることも出来なかったようです。


おみくじ作戦

三人目は道光帝の甥であり、吏部尚書の職にあった奕経(えきけい)です。

1841年10月、道光帝は彼を「揚威将軍」に任命し、浙江に派遣してイギリス軍への反撃を命じました。

総司令官となった奕経は、浙江に向う途中、杭州の関帝廟(武神関羽を祀る廟)で勝利を占うためおみくじを引くと「虎」の棒がでて、そこに「虎頭人は平安を保つ」と書かれてありました。

喜んだ奕経は「虎」によって敵を倒すことを決意します。

虎は寅と同じなので、寅年の寅月、寅日、寅時、すなわち1842年(壬寅)、陰暦正月(寅)、29日(戊寅)、午前4時(寅時)に総攻撃を決行することに定めました。

さらに完璧を期すため、もう一つの「虎」として寅年生まれの将軍段永甫を主将(指揮官)に任命しました。

こうして「五虎」(年・月・日・時・主将)をそろえたので、イギリス軍に必ず勝利できると信じたのです。

結果は‥‥、言わずとも知れています。

中国文化を信奉していた日本の漢学者たちは、中国のこのような戦い方を知って、敗戦以上に大きな衝撃をうけたことでしょう。

それは中華文明への失望であり、私はこれが明治時代の特色である西洋文明への極端なシフトの一因となったのではないかとひそかに考えています。

【参考:「清軍用馬桶陣、面具兵抵抗英軍,令人哭笑不得,怪不得輸掉了戰爭 原文網址」←中国語ですがグーグル翻訳すれば大体は分かります】

幕末島津研究室

幕末島津家の研究をしています。 史料に加え、歴史学者があまり興味を示さない「史談(オーラルヒストリー)」を紐解きながら・・・ 歴史上の事件からひとびとの暮らしまで、さまざまな話題をとりあげていきます。

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