間違いを認めない人たち

無謬性神話

 「行政の無謬性(むびゅうせい)」という言葉を耳にされたことがあるでしょうか?

これは「行政機関は誤りをおかさない」という意味で、じっさいにはそんなことはありえないのですが、そう見られているというより行政機関がそのようにふるまっているというべきでしょう。

今回は「行政の無謬性という神話」について考えてみました。

現代の日本において行政の執行機関は霞ヶ関の中央官庁であり、動かしているのはキャリア官僚たちです。

雑誌『Voice』2000年(平成12年)10月号が「官僚の”無謬性”こそ最大の弊害だ」という特集をしたときに、現在環境大臣をつとめる浅尾慶一郎氏(寄稿当時は民主党の1年生議員)が寄稿した文章がご自身のホームページに掲載されており、こう書かれています。

筆者が実際に国会で経験していることから考えると、まだまだ行政の実務は官僚が動かしているといっても過言ではないだろう。

官僚主導そのこと自体の是非とは別に、官僚組織主導ということから生じる「無謬性」に対する固執と、そのことが変化の速い現代にもたらす問題点について論じる。

官僚組織は基本的に自分たちには誤謬・誤りがないかのように振る舞い、反駁する意見や代案に対しては耳を貸さない。国会で官僚の答弁を聞いていると、問題は霞ヶ関の人間が解決するから外から余計な口出しをするなというような意識をいまだに根強く感じさせられる。

【浅尾慶一郎氏ホームページ 「過去の寄稿文 2003.01.19[特集] 官僚の「無謬性」こそ最大の弊害だ 平成12年10月Voice」 太字はブログ主】

つまり「霞ヶ関のキャリア官僚は、自分たちの誤りを認めず周囲の意見に耳を貸さない」ということです。

この状態は20年以上たっても変わらなかったようで、2022年(令和4年)の政府の報告書においてもこう書かれています。

我が国の行政には、従来、行政は間違いを犯してはならない、あるいは、現行の制度や政策は間違っていないと考える、いわゆる「無謬性神話」が存在すると指摘されてきた
(中略)
この無謬性については、平成9年の行政改革会議の最終報告で「時代環境がめまぐるしく変化するなかで、行政のみに無謬性を求めることは、その政策判断の萎縮と遅延、先送りを助長することになりかねない」と指摘されていたように、長きにわたり存在してきた課題である。

(中略)

しかし、行政が常に正確なデータを把握し全てにおいて無謬であるということは現実にはあり得ない。

(中略)

行政の「無謬性神話」から脱却し、このような機動的で柔軟な政策形成・評価が自然に行われるような組織文化を霞が関に作り、根付かせていかなければならない。


【「アジャイル型政策形成・評価の在り方に関するワーキンググループ提言~行政の「無謬性神話」からの脱却に向けて~」令和4年5月31日 行政改革推進会議 アジャイル型政策形成・評価の在り方に関するワーキンググループ 太字はブログ主】

行政の無謬性神話から抜け出して、間違えたことを認めて改善していくように変えなければならないという問題意識はあるようです。

しかし、この提言を受けてキャリア官僚が間違いを認めるように変化できるかについては、疑問です。

というのも、霞ヶ関のキャリア官僚が間違いを認めないのは江戸幕府からつづく伝統だからです。

明治初期の外務省(霞ヶ関に置かれた最初の官庁、建物は旧福岡藩邸)

『幕末・明治・大正回顧八十年史』


目付は間違いを認めず

江戸幕府におけるキャリア官僚の代表は「江戸のキャリア官僚」で取り上げた「目付」ですが、彼らも間違いを認めませんでした。

もと一橋家の家臣で慶喜将軍に中奥小姓として仕えた村山鎮がこのように書いています。

(読みやすくするため現代仮名づかいにし、漢字の一部を平仮名にかえて、カギ括弧と句読点をおぎなっています。原本はこちら

この役(目付)は人物をお選みになって御採用になった御役で、旗本は勿論、御老若(老中・若年寄)といえども、御条目控にそむく者、直きに言上できるという権力を与えられ、どんな事でも立会わざる事なし、即ち監察です。

筆頭から三、四人は諸大夫(しょだいぶ:官位は大名の最下位と同じ五位)を特に仰せ付けられて、一体布衣(ほい:官位は六位相当)なのです。

めったに直言上(じきごんじょう:将軍に直接報告すること)する人もなかったが、もし願う時は、御老中でも若年寄でも、何を言上すると問うことは出来ぬとしてあった。

それで、御目付になると言葉も違って、(相手のことを)誰でも御自分といい、(自分のことを)拙者といいました。


また(目付が)間違ったから、「それは間違いです」と言うと、「いいえ行違いです」と言って、決して間違いだと言いません。


真に間違いだとなると、「然らば伺いましょう」と言う。


伺いましょうというのは自分の進退伺いで、即ち差控えを伺うという事なのです。


御番衆から直ぐなる人もあったが、多く御使番または御小納戸からなりましたが、懇意であった人がなるといつもからかって、「間違いました」と(新任の目付に)言うと、「いいえ行違いです」と強情を張って面白かったが、その実戯言(たわむれ)などを言ってはならん御役なので、支配向きの居る処だの、御座敷では、真面目でなければならぬ筈です。


【旧旗本の一老人「大奥秘記」国書刊行会編『新燕石十種 第五』太字はブログ主】

村山(ペンネームは旧幕府の一老人)は、目付が間違ったときでも「決して間違いだと言いません」と語っています。

「それは間違いです」と指摘しても、「いいえ行違いです(見解の相違です)」と言い張って、絶対に自分が間違っていたとは認めなかったのです。

本当に間違いであることがはっきりしても、「では進退伺いを出しましょう」と開き直っていたようです。

将軍に直接報告できる強大な権限を持っている目付が、みずからの進退伺いを出したとなれば大変な騒ぎになることは確実です。

そんな騒ぎに巻き込まれるのは誰だって避けたいでしょうから、目付に「然らば伺いましょう」と開き直られれば、「いやそこまでしなくても」と引き下がってしまうはずです。

村山は親しい人が目付になったときは「間違えましたね」とからかって、「いいえ行違いです」と返されるのを面白がっていたと語っていますが、自分の間違いを認められないというのも本音では辛いかと推察されます。

現在の官僚たちも無謬性を捨てて、間違いを改めるようにすれば精神的に楽になれるのではないかと思うのですが、無理ですかね?


幕末島津研究室

幕末島津家の研究をしています。 史料に加え、歴史学者があまり興味を示さない「史談(オーラルヒストリー)」を紐解きながら・・・ 歴史上の事件からひとびとの暮らしまで、さまざまな話題をとりあげていきます。

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