目付は直角に曲がる
目付の歩き方
前回「目付が肩で風を切って歩いていた様子を紹介する」と書きましたが、これはいばっているという意味ではなく、じっさいに目付は江戸城内において独特の歩き方をしていました。
それは一直線に進んで直角に曲がるという歩き方です。
今一つ変わっているのは、その歩き方なので、馬車馬が行くように真っ直ぐに歩いて、四角に曲がったものだ。
御門々々の曲がり角を斜形(はす)には折れない。
ズッと行ってクルリと身体を向け替える。(中略)
番所の角を四角に折り曲がる有様などは、広い場所だけに目に立ちて、不思議に見える。
それから当番の目付が、大手なり桔梗なり、御内郭へかかると、門番が制止声(せいしごえ)と唱えて、エーオー、エーオーと一種変てこな調子で、目付の通り切るまで怒鳴っている。
ここへ折あしく大名などが登城するとて来合わした場合に、どうするかといえば、制止声を聞くと、しばらく差控えて、制止声が済んでから行かなければならない。
これは目付が職務執行中なるが故に、幕府を憚りてかくするのであろう。
これでもって目付が四角四面に歩くのも職務上だということが分かる。
【桂園「御朱印道中・御目付」柴田宵曲編『幕末の武家』青蛙房】
桂園の本名は不明ですが、語り口からして、おそらく旧幕臣でしょう。
桂園によると当日の当番として登城した目付は一直線に歩いて、曲がり角にさしかかると直角に曲がっていたというのです。
「変わっているのは」とありますから、これは目付独特の歩き方だったからです。
桂園はその理由を、「御門々々より御城内を検察しながら歩く故なのである」【前掲書】としていますが、角を直角に曲がらないとチェックができないのかどうかは疑問です。
さらに、目付が門を入ると門番が「エーオー、エーオー」と大声をあげて、目付が通行中であることを知らせます。
これが大名の登城と重なったときには大名の方が立ち止まって、目付が優先的に通行するのですから、たいした威厳です。
もっとも、登城時間は大名によって異なっていたので、御三家や大大名と目付が鉢合わせすることはなかったそうです。
江戸城中雀門(『幕末・明治・大正 回顧八十年史』)
雪の日でも直角優先
目付はどんな日でも同じ歩き方でした。
江戸町奉行や外国奉行を歴任した山口直毅は、旧事諮問会で自身の目付時代を振り返ってこのような話を披露しています。
(問)どこへ行っても威儀を正して、御目付でやっているのですか。
(答)左様です。
どこへ行っても立派にそうやっておらなければならぬので、着物の品柄から質素を旨として、他向きとは違うのです。
それにまた奇なことがありました。
歩き方にも目付風があって、余程奇体でした。
若い人が聞くと抱腹絶倒でしょう。
当直の者が登城をする時に、隅々まで見廻る趣意で、歩くに極まりがありました。
たとえば通常の人は大手の内でも雪の除けてある所を歩きますが、御目付は直角に行くのですから、雪道の附けてない所を歩かなければならぬ。
つまり堀端の方へ突き当たるのです。
堀端は雪が掻いてない。
あすこで下馬をして、足駄を穿いて歩いて行くと、歯の間へ雪が溜まって、ゴロゴロして歩けやァしない。
耐(たま)らないから度々足駄の歯の雪を、供がコンコンと敲(たた)いて掃(はら)ってくれる。
番所の者が「アーッ」と声を掛けております。
これは役人の登城に際して人を制しているわけですが、こっちは暇がかかるから、いつまでも「アーッ」と声を掛けております。
【山口直毅「目付・町奉行・外国奉行の話」『旧事諮問録』青蛙房】
雪が積もった日に皆は雪かきされたところを歩くのに、目付は「真っ直ぐ&直角」に歩かねばならないから、雪の上を歩く。
そうするとゲタの歯の間に雪がたまって歩きにくくなるから、そのつど供侍がゲタの歯をたたいて雪を落とさなければならない。
それで歩行に手間取るのですが、目付が通行中であることを告げる役目の門番はその間ずっと大声をあげつづけていた、という気の毒な話です。
雨の中でも姿勢をくずさず
目付の歩き方については、当事者である山口本人が「抱腹絶倒でしょう」と語っているので、自分たちでもバカバカしいと思っていたはずです。
しかし江戸時代は形式重視・前例踏襲ですから、くだらないと分かっていても変えられません。
このあたりは現代の官僚も受け継いでいる気がしなくもないかと……。(個人の感想です)
その結果、こんな気の毒なことも起こります。(読みやすくするため現代仮名づかいに変え、漢字の一部を仮名にして、カギ括弧と句読点をおぎなっています)
ここに一笑話あり。
岡部長常(駿河守:原注)本番登城の時、城内百人番所の辺より俄に雨降出しが、折悪しく雨傘用意なかりしかば、主従皆濡れながら、例の通り四角に徐歩してやがて部屋に入り、
一応挨拶終りし後、岩瀬忠震(修理:原注)云う、
「過ぐるとき駿河殿の本番登城を側らより見たりしが、雨に濡れながら悠々と突袖をして四角に歩行むさま、其の心中如何と思いやられて、実に笑いを忍ぶに堪えざりし」
とて、彼れ此れ大笑いとなりしことあり。
【木村芥舟「旧幕監察の動向」『旧幕府 第1巻第1号』】
岡部長常(ながつね、のち軍艦奉行)がその日の当番目付として登城したときに、大手門内にある百人番所のあたりでとつぜん雨がふりだしました。
目付の登城ルート(木村芥舟「旧幕監察の動向」より推定)
(地図は国立国会図書館デジタルコレクション「江戸城図」部分)
あいにく雨傘の用意をしていなかったので、岡部も従者も雨に濡れながらいつもどおりゆっくり歩き、直角に曲がって玄関をあがり、執務室である目付部屋に入って各係からの挨拶を受け終わりました。
すると先輩の目付である岩瀬忠震(ただなり、のち外国奉行)が、
「先ほど駿河殿が当番として登城されるのを横から見ていた。
雨に濡れながらゆうゆうと突き袖して四角に歩いているのだが、心の中はいかばかりかと思いやられて、笑いをこらえるのに苦労した」
と語ったので、二人とも大笑いしたというエピソードです。
「突き袖」というのは、着物のたもとに手を入れて袖をひろげながら悠然と歩くことですが、雨に濡れるので駆け出したいところをガマンしてゆっくり歩く岡部の姿に、同じ目付の岩瀬が「わかるわかる」と思いながら笑いをこらえている様子が目に浮かびます。
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