公金無用!

公金チューチュー

 かつてはマスコミつまりオールドメディアが情報を独占していたので、新聞やテレビが報道しない事柄は世間に知られることがありませんでした。

しかしSNSの普及で誰もが世界中に情報をひろめることができるようになり、これまで闇の中にひそんでいたさまざまな利権が白日の下にさらされはじめています。

その一つが「公金チューチュー」です。

ウイキペディアによれば、

”公金チューチュー(こうきんチューチュー)とは、主にNPO法人や一般社団法人、その他の組織、個人等が補助金や助成金等の公金を、主に「人権」「多様性」のためだとし、国や地方公共団体から巧妙に活動家らが獲得している状態、またはそのような仕組みを表した言葉”

だそうです。

たいしたこともせずに大金がもらえるとなれば誰でもよろこびそうなものですが、江戸時代にはそんな申し出を拒絶した人がいました。

公金提供を申し出たのは、このブログでもしばしば取り上げてきた名老中松平定信(楽翁)です。

今回は、心学道話を聞いて感心した定信が「幕府が土地と資金を提供して支援しよう」と言ったのに、それをスッパリ断った人物の話をご紹介します。


松平定信、中沢道二の心学道話に感心

「心学」というのは、江戸時代中期に石田梅岩(いしだ ばいがん)が始めた庶民のための生活哲学で、たとえ話を交えながら道徳をわかりやすく説いたものです。

心学では「聖人の道もチンプンカンプンでは、女中や子ども衆の耳に通ぜぬ」との考えで、たとえば「孟子曰く、仁は人の心なり、義は人の路なり」を「仁とは無理のないこと、義とは無理しないこと」というように、庶民に分かりやすい言葉をつかって説教(道話)を行います。

松平定信が老中の時代、江戸市中では石田梅岩の孫弟子になる中沢道二(なかざわ どうに)が、心学道話で多くの聴衆を集めていました。

沢山の町人たちが中沢の心学道話を涙を流しながら聞きいっているという報告を受けた定信は、自分の目で確かめようと目立たない服装でこっそり視察に行きました。

そのときの話を明治41年の史談会で高崎正風がしています。(読みやすくするため現代仮名づかいにし、漢字の一部を平仮名にかえて、カギ括弧と句読点をおぎなっています)


楽翁公はご承知の通り旧幕時代の賢相でありますから、余程深く心を用いて、且つ又学者でありますから、ある時微服で聞きに参られたそうであります。
そうすると非常に感心して帰ってきた。
「実に結構なことである、誠に国民を教えるにはこの上もない」と。

翌日すぐに中沢道二先生を呼ばれまして、

「誠に貴様は良い会を起こして結構な事である、誠に我が国民の幸福である、ついては大いに力を尽くして益々やってくれ。

少ないが浅草の蔵前で何段歩かの地所を与え、又お前を幕府の役人にして月給を取らせる」

と申したところが、道二先生中々エラい者であります、その答えに

「私共の会をかく迄御賛成下さるるは誠に有難うございます、どうか十分にお力をお添え下されたい。

しかしながら土地を拝領する事と月給を戴きます事は、たってお断りを申します」

楽翁公は大いに驚いて、

「誠に寸志であるけれども、いささかお前の手助けになろうと思って、やろうと申したのである」

「それは有難うございますが、人間という者はとかく懶惰(らんだ:なまけること)になりやすい者であります。

私の説は自ら働いて食う様な人を造りますので、その御好意はかえってあだであります。

こればかりはどうぞ御免をこうむります」

と申しました。

楽翁公が一層感服して、

「お前の言う所はもっともである、感服した、どうか益々やってくれ」

と申しました。

【高崎正風「一徳会設立の主意附四十三節」『史談会速記録第186輯』】

松平定信肖像 本田無外『白河楽翁言行録』より(国立国会図書館デジタルコレクション)


定信の支援を辞退

中沢の道話に感心した定信は、これを広めるために蔵前の土地何百坪かを提供して常設の会場をつくらせ、かつ中沢を幕府の役人に採用して月給を払えば生活の心配もなくなるので、安心して道話を続けられるだろうと考えて支援を申し出ました。

しかし中沢は支援の申し出を断ります。

自分の説法は人々が自活できるようにするために説いているものであり、人というのはとかく怠けようとしがちなので支援されるとそれに頼って真剣に働かなくなるから逆効果だ、というのです。

説法を聞いている方から見ても、「自分たちにまじめに働けと言っておきながら、おまえは幕府から月給をもらって楽に暮らしているではないか」と思うはずです。

だから道二は定信の申し出を受けなかったのでしょう。

このあたりは、「〇〇で困っている人を支援するから、自分たちを公金でサポートして」と言って公金チューチューする人たちとは正反対です。

定信の申し出を断った道二ですが、物的支援ではなく心学道話を大名たちにPRしてほしいと頼んでいます。

とっかかりさえつけてくれれば、あとは自分たちで頑張るということです。

昔の人は志が高かったなあ、としみじみ思います。










幕末島津研究室

幕末島津家の研究をしています。 史料に加え、歴史学者があまり興味を示さない「史談(オーラルヒストリー)」を紐解きながら・・・ 歴史上の事件からひとびとの暮らしまで、さまざまな話題をとりあげていきます。

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